にゃこめしの食材博物記

YouTubeチャンネル「古代ローマ食堂へようこそ」の中の人のブログ。古代ローマの食文化についての記事を中心に、様々な歴史や食文化について調べて書いているブログです。

ツタンカーメンのエンドウ豆


f:id:nyakomeshi:20210503120408j:image

爽やかな季節です。スーパーの店頭にもエンドウ豆がたくさん並んでいます。旬ですね。

ところで、「ツタンカーメンのエンドウ」をご存知の方も多いと思います。さやが紫色をしたエンドウ豆です。中の豆は普通の緑色ですが、豆ごはんにするとごはんがお赤飯のように赤紫になります。味は普通の緑のエンドウ豆と同じで、おいしいです。

しかし、「ツタンカーメンのエンドウ」と呼ばれるあの紫のエンドウ豆は、果たして本当にツタンカーメンの墓から出てきたものなのか、疑問に思った方も多いのではないでしょうか。

 

 

私とツタンカーメンのエンドウ

小学生の4年生だったか5年生だったか。◯年の科学という学研の雑誌を買ってもらっていました。毎月付録がついてくるのですが、その中の一つにツタンカーメンのエンドウ栽培キットがありました。

25年くらい?前の事なので記憶もおぼろげですが、ツタンカーメンのマスクの形をした青いプラスチック製の植木鉢と、土と、エンドウ豆の種がセットになっていたように思います。

f:id:nyakomeshi:20210503120430j:image

私はものぐさな子供だったので、届いてもすぐには植えず、植え付けの時期を大幅に遅れてしまいました。

結果、芽は出ませんでした。

しかし今思えば、すぐに植えていてもあのエンドウ豆が育つ事はなかっただろうと思います。

なぜなら、

イタズラ好きだった妹達は植木鉢をどこに置いてもひっくり返して中の豆をほじくり出すし、その時こぼれる土を赤ちゃんだった弟は口に入れてしまうし、

母親はジョウロから水が一滴でも床にこぼれると金切声をあげるし、

早々に嫌になってしまったに決まっています。誌面に何が書いてあったかはすっかり忘れてしまいました。あ~ぁ…。

ところで先日、農産物直売所でツタンカーメンのエンドウを見かけました。小学生時代の記憶と共に、疑問がふつふつと湧いてきます。

あの美しき少年王ツタンカーメンは、紫色のエンドウ豆を食していたのか…。

 

ツタンカーメンのエンドウの真実と歴史

2019年5月22日のニューズウィークに記載された中東研究家の保坂修司さんのコラムが、ツタンカーメンのエンドウの謎を解き明かしてくれていました。

このブログの最後にリンクを貼り付けておくので詳しく知りたい方はそちらを読んで頂ければ、と思いますので、

ここではその内容を時系列に沿って簡単にまとめるだけにしておきます。

  • 1838年 英国のエジプト研究家ジョン・ウィルキンソン古代エジプトの遺跡から壺に入ったエンドウ豆を発見、英国の園芸家ウィリアム・グリムストーンに豆をゆずった。(ただし、科学的根拠のある資料は見つかっていないとされる)
  • 19世紀後半 グリムストーンが「ミイラのエンドウ」を商品として売り出す。数年の後にブームは終了し、「ミイラのエンドウ」は忘れられた存在となる。
  • 1922年  ツタンカーメンの墓が発見される
  • 1930年代 英国・米国の園芸家の間で「ツタンカーメンのエンドウ」が登場。(ここでも科学的根拠のある資料は見つかっていないとされる)
  • 1956年 米国の園芸家から水戸市の小学校に「ツタンカーメンのエンドウ」が寄贈される
  • 1957年 水戸市の小学校のエンドウ豆が読売新聞に取り上げられる
  • 1986年 学研がバイオ技術を用いて水戸市の小学校で育てられたエンドウから150万粒の種を製造。以後『5年の科学』の付録として「ツタンカーメンのエンドウ」を全国へ知らしめる

以上が時系列にそった流れです。

ツタンカーメンの王墓発見より前に英国では「ミイラのエンドウ(mummy's pea)」が存在していた事、科学的根拠のある資料に乏しい事、そして英米の園芸家達のビジネスが深く関わっていた事が伺い知れます。

そして1986年以降、長年にわたり学研は全国の子供達に「ツタンカーメンのエンドウ」の種子と、古代のロマンと嘘をばらまき続けお届けし続けました。

私もそれを受け取った中の一人だった、というわけです。

もちろん科学や歴史は新たな発見がなされればそれまでの定説が覆る事もありますから、ツタンカーメンのエンドウに関わる資料が今後発見されないとも限りませんが‥‥。

 

 

5年の科学とツタンカーメンのエンドウ

さて、「◯年の科学/学習」など学研のホームページから付録の一部を写真で見る事が出来ました。ピラミッド型の植木鉢からエンドウ豆の芽が出てきた写真が掲載されていました。

残念ながら私の記憶にあった、青いプラスチック製ツタンカーメンのマスク形の植木鉢ではありませんでした。

私が付録を受け取った頃から10年くらい後の商品です。その間に商品の企画が変わったのか、私の記憶が間違っているのかは分からずじまいです。もし同じような記憶や、当時の写真や記録などお持ちの方がいらっしゃいましたら、教えて頂けると大変嬉しく思います。

何年に発行されたものか調べかねているのですが、5年の科学の誌面にはツタンカーメンのエンドウの由来に付いて以下のような一文が掲載されていたようです。

ツタンカーメンの紫エンドウはアメリカからやって来た!!

ツタンカーメンの紫エンドウは王墓の発掘者のハワード・カーターが見つけて持ち帰ったと言われています。ロンドンのギルバード夫人がゆずり受け、夫人の庭師が植えて次の世代の種をとることに成功し、各地に広がりました。教材の紫エンドウは、アメリカに送ったサクラとイチョウの木のお礼に、日本の小学校に送られてきた種から、ふやしたものです。

 

 

古代エジプトと発掘された豆

エンドウ豆ではありませんが、古代エジプトの遺構から豆が発見された事は実際にあるようです。

  • ソラマメが第五王朝サフラー王の神殿の墓地から発見される
  • ソラマメが第十二王朝期のドウラ・アブ・ナガの墓から発見される
  • ヒヨコマメが紀元前1400年頃の墓から発見される
  • レンズマメが先王朝時代の墓から発見される
  • レンズマメが第三王朝ジョゼル王のピラミッドの地下室の中から発見される
  • レンズマメが新王国時代の墓から発見される

など。

豆の実物が発見された事例以外にも、豆に関する多くの記録や資料が残されており、古代エジプト人にとって豆類が大変身近な食材だった事が分かります

エンドウ豆も古代エジプトでも食べられていた事は確認されているようです。

 

以上は日本におけるエジプト研究の第一人者、吉村作治氏の著書から得た情報でした。お味噌のCMでおなじみの方ですね。余談ですが私は幼い頃、吉村作治堀内孝雄の区別がついていませんでした(笑)

 

 

まとめ

以上の事から、

  • ツタンカーメンのエンドウは英国・米国の園芸家達が作り上げた嘘
  • 学研は日本全国の子供達に「ツタンカーメンのエンドウ」という名で紫エンドウの種子を配布した
  • ツタンカーメンの墓からエンドウが発見されたという歴史的資料、それが発芽したという科学的資料は無い
  • だけど古代エジプトの王の墓から豆が発見される事はある。
  • 古代エジプトでもエンドウ豆は食べられていた

という事がわかります。

紫エンドウに関するツタンカーメンの伝説は残念ながら根拠の無い嘘のようですが、

美しき少年王ツタンカーメンも、エンドウ豆を食べていたかもしれません。

 

 

参考文献/参考HP

ニューズウィーク

https://www.newsweekjapan.jp/amp/hosaka/2019/05/post-29.php?page=4

 

学研科学のふろくギャラリー

https://www.gakken.co.jp/sp/campaign/70th/furoku/index_2009.html

 

ファラオの食卓ー古代エジプト食物語

吉村作治 講談社 1968年

熊楠とニラの味噌汁の話

スーパーでニラが半額だったので、朝の賄いはご飯と納豆とニラの味噌汁。

(朝、といっても居酒屋稼業は生活が夜型にずれるので、10時半頃が朝ご飯です)


f:id:nyakomeshi:20210309155404j:image

今のご時世、マスク着用が基本なので、ニオイを気にせず朝からニラでスタミナつける事ができるゼ。

 

博物学者の南方熊楠は根を詰めて仕事をする時はいつも、奥さんにニラの味噌汁を作っておいてくれ、と言ったそうです。

仕事の合間に台所へ行ってニラの味噌汁をすすり、また仕事に熱中していた。

熊楠の娘さんがこう語っていた記事が載っていた本はコレだったと思います。

クマグスの森ー南方熊楠の見た宇宙』

知の巨人、南方熊楠の破天荒なエピソードはここに書ききれないのでまた改めて書きたいと思っているのだけど、とにかく体力がすごい、という印象があるな。

最近忙しめでちょっと体力キツいけど、熊楠にあやかってニラの味噌汁で乗り切りたいものです。

 

節分なのでカナガシラの話

節分に食べる魚といえばイワシですね。

私の住んでいる地域でもイワシを食べます。

しかし長崎県では節分に食べる魚といえば、カナガシラなのだそうです。

このカナガシラという魚、知名度が今ひとつのようですが、地域によっては縁起物として用いられる魚です。

f:id:nyakomeshi:20210430132709j:image

節分

長崎県では節分に食べる魚といえば、カナガシラ。ご当地ニュースもカナガシラで賑わっています。

毎日新聞

https://mainichi.jp/articles/20170201/ddp/041/040/036000c

長崎新聞

https://this.kiji.is/727711857730617344?c=39546741839462401

カナガシラ(金頭)という名前から金運がつく縁起物だから節分に食べている、という説をチラホラ見かけます。名前から験を担ぐという考え方も日本人らしくて面白いと思います。

しかし、標準和名がカナガシラに定まる以前から長崎県では節分にこの魚を食べる風習はあったのではないかという疑問も残ります。

カナガシラの長崎県での地方名は「ガッツ」といいます。ではガッツがつくのでしょうか?(これは冗談です)

 

節分のカナガシラは食べれば邪気を祓う魚と言われています。(上にリンクを貼った長崎新聞の記事では邪気を祓う説と金運説の両方に言及しています。)

日本をはじめ、アジアのいくつかの国では赤い色は古来より邪気を祓う色とされてきた歴史があります。カナガシラの真っ赤な体色が邪気を祓い、縁起が良いとされてきた説の方が歴史が古いようにも思われます。

 

お食い初め

お食い初めの魚といえば、鯛です。関西では蛸を使う事も多いです。他に鯉や蛤など。

カナガシラを使う地域もあります。

皇室のお食い初めにあたる「箸初めの儀」ではカナガシラが使われます。2007 年1月13日の朝日新聞によれば悠仁親王の箸初めの儀でもカナガシラが使われたと報道されています。

カナガシラは頭がとても硬い魚なので、歯固めの石と同じ役割で、丈夫な歯が生えますようにという願いを込めて用いられます。

又、赤ちゃんのまだ柔らかい頭が、カナガシラのようにしっかり固まりますように、という意味合いの事もあります。

 

大塩平八郎

さて、とっても硬い頭をもつカナガシラ。ヘルメットのような頭骨が硬い上に、エラブタや目の上にトゲまでついています。

ところが、大塩平八郎はカナガシラの頭を「ワリワリ」と噛み砕いてしまったという記録が残っています。

飢饉に苦しむ庶民に対して何もしない幕府への怒りを、おかずに出てきたカナガシラの頭にぶつけたのだそうです。

恥ずかしながら大塩平八郎の事をあまり知らなかったので調べ直しました。なかなか性格の激しい人だったのですね。火薬を爆発させて派手な最後を遂げてるし…(笑)

 

生態

カナガシラの見た目でまず、目を引くのは脚(指?)があることでしょう。海底を這い回るのに便利なように胸鰭の一部が変化したものです。脚を使って、ゴソゴソと這い回る姿はユーモラスでとても可愛いです。

この脚の先は感覚器になっており、味覚を感知します。海底の砂の中の甲殻類を見つけて食べるのに役立っています。

近縁種のホウボウも同じく脚のようなヒレを持っています。

ホウボウとカナガシラの見分けポイントは胸鰭の色です。ホウボウは胸鰭を広げると目が覚めるような青い色をしています。それに対して、カナガシラのヒレは体色と同じ、赤みがかったオレンジ色です。

どちらも根魚特有の旨味があって、本当に美味しいお魚です。

 

参考HP

毎日新聞

https://mainichi.jp/articles/20170201/ddp/041/040/036000c

長崎新聞

https://this.kiji.is/727711857730617344?c=39546741839462401

仕出し割烹 しげよし

https://www.shige44.jp/fs/shigeyoshi/c/okuizome_ritual

幸田成友大塩平八郎」86


Kc¬Fu彪Yv86

ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑

https://www.zukan-bouz.com/syu/%E3%82%AB%E3%83%8A%E3%82%AC%E3%82%B7%E3%83%A9

 

 

 

 

マトウダイと聖ペテロの話


f:id:nyakomeshi:20201215020342j:image
大きな口に長くたなびく背ビレ。全身をぐるり取り囲むようにとげが囲み、その真ん中に目を引く黒い紋様。絶大なインパクトのある御姿の魚、マトウダイ


f:id:nyakomeshi:20201225173353j:image

漢字では「馬頭鯛」と書きます。この魚の口は摂餌の際に大きく前方に伸びます。その顔が馬のようだから、という理由で名付けられたようです。「的鯛(マトダイ)」と呼ばれる事も多く、これは体の模様が的に見えるから、という理由です。こちらの方が分かりやすいですね。


f:id:nyakomeshi:20201215020355j:image

さて、このマトウダイ、日本ではあまり一般的ではない魚だけれども、フレンチやイタリアンでは高級食材として重宝されている魚です。フランス語での名前を「saint-pierre(サン・ピエール)」、イタリア語での名前を「Pesce san pietro(サン・ピエトロ)」といいます。いずれもキリスト教の聖人ペテロを指す名前です。


f:id:nyakomeshi:20201215020403j:image

マトウダイの側面の模様は、聖人ペテロがこの魚を持った時の指の跡が残ったもの、と言われています。聖書に出てくるエピソードはこのようなものです。

 

マタイによる福音書17章27節
に行って釣りをしなさい。最初に釣れた魚を取って口を開けると、銀貨が一枚見つかるはずだ。それを取って、あなたと私の分として納めなさい。
(新共同訳)

 

「湖」とあるのは、翻訳によっては「海」とされている事もあるようですが、いずれにせよガリラヤ湖(ティベリアス湖)であるとされています。

ガリラヤ湖は淡水の湖です。


マトウダイ海水魚

 

実は、この湖にはセント・ピーターズ・フイッシュと呼ばれるティラピアの仲間が生息しており、聖書の魚はこちらの魚であるとされています。

どうやらマトウダイの方は、後の時代の人々が側面の模様と聖書のエピソードを結びつけて名付けたもののようです。

 

 

以上のエピソードはネット上で書かれたものを目にする機会はあったのですが、元となる情報がわからずにいました。

英語版ウィキペディアによると、この本の中で言及されている内容なのだとか。

Fish Behavior in the Aquarium and in the Wild (Comstock Books)

作者:Reebs, Stephan

英語なので私は未読です、すみません。

参考文献

新約聖書 新共同訳

 

参考HP

ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑

https://www.zukan-bouz.com/syu/%E3%83%9E%E3%83%88%E3%82%A6%E3%83%80%E3%82%A4

英語版ウィキペディア

https://en.m.wikipedia.org/wiki/John_Dory

 

冬至の日の雑談

「かぼちゃよかぼちゃ、かぼちゃさん。馬車になって私を素敵な王子様の所へ連れて行っておくれ」

プリンセスは言いました。

するとかぼちゃは答えました。

「無理。」

プリンセスは髪を振り乱し、斧を掴むとかぼちゃ目がけて振り下ろしました。

あわれなかぼちゃは真っ二つ。

プリンセスはそのままかぼちゃを一口サイズに切り刻み、出汁と砂糖みりん醤油で味付けし、一切れ残らず食べてしまいましたとさ。

 

今日は冬至です。

嬉しすぎて、謎の昔話を捏造してしまいました。こんな話、どこにも伝わっておりません。


f:id:nyakomeshi:20201221163448j:image

私は冬至が大好きでして、個人的にはクリスマスよりもおめでたいと感じているくらいです。

 

これまで日を追うごとに短くなっていった日照時間が、今日を折り返し地点に少しずつ長くなっていきます。

現在の暦の上では節目でもなく、何だか中途半端な日付けだし、祝日でもありません。

ですが、大自然の感覚でいえば一年の始まり(もしくは終わりかその両方)だと思うのです。

 

古代世界では太陽を神として、大いなる自然の力を敬う信仰が多くありました。当然、夏至冬至は重要な日となったはずです。

いろいろな儀式や風習があった事でしょう。

それに伴う特別な食べ物や飲み物もあった事でしょう。

そのいくつかは歴史に埋もれて姿を消し、またそのいくつかは姿を変えつつ現在にも伝わっているはずです。

 

そういった事をいろいろ調べていきたいと思いつつ、まだ調べていません。

 

今日はとりあえず、現在日本では定番となっている風習にしたがって、かぼちゃを食べて柚子湯に浸かります。


f:id:nyakomeshi:20201221163512j:image

 

ルジェという魚の話


フランスでルジェ(rouget)と呼ばれる魚があります。名前から予想出来る通り、赤味がかった色が美しい魚で、フランス料理の高級食材です。
これはヒメジの仲間の
ストライプド・レッド・マレットという魚です。
f:id:nyakomeshi:20220301141843j:image

(ちなみにrouget poissonで検索をかけると、様々な色合いのヒメジの画像が出てくるので、ヒメジ科の他の魚もルジェとして扱っているのかもしれません)

 

rouget grondin(カナガシラ)と区別するためにrouget barbetと呼ぶ事もあるようです。

 

少し古い本ですが、ルジェについてこんな面白いコラムを見つけたので、少し長いですが引用したいと思います。

“ルージェは美食を好む古代ローマ人つにとっては、豪華な食卓、宴会に欠かすことのできない魚でした。
風味ばかりでなく、その優雅なすがたと美しい色も賛美の対象となり、彼らはルージェを両手で包むようにして窒息させ、パープルから、バイオレット、さらにライトブルーへと刻々と微妙に変化する色合いを眺めて楽しみました。
食卓の上で薪を燃やし、透明なガラス器に入れたルージェをその上にかざします。そして、ルージェが熱せられて死んでいくと同時に、さまざまに色を変えていくのを、みんなで嘆声を発しながら見物するのです。
それは見て美しいスペクタクルであるばかりでなく、卓上で調理された新鮮なルージェを賞味するにも都合のいい方法だったわけですが、その美学はちょっぴり残酷にも感じられますね”

食卓のエスプリ フランス料理の本②魚介料理
辻 静雄 監修 講談社
昭和56年9月7日 第1刷発行

 

このコラムの内容が参考にしている歴史的資料が何であるかは分かりません。
『アピキウス』?プリニウスの『博物誌』?
それともタキトゥスやスエトニウス?
(ご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教授頂ければ幸いです。)

 

さらに、ここに書かれている通りに調理したとして、気になるのはウロコや内臓です。ヒメジのウロコは大きいし、胃の内容物は海底の海老や虫。
大変、食べにくい物になりそう…。

 

しかし、古代ローマ帝国でヒメジが食べられていた事は確かなようです。
紀元前3世紀ごろのモザイク画にも、ヒメジの仲間特有の顎ひげをもつ魚が描かれております。

 

ヒメジの仲間は下顎の先に、二股に分かれた顎ひげをもつのが特徴です。顎ひげは味覚や触覚で餌を探すための優れた感覚器なのだそうです。

↓こちらはヒメジ科ウミヒゴイ属のホウライヒメジ。顎ひげが見事です。参考までに。

f:id:nyakomeshi:20220302114332j:image

ところで、日本ではルジェを使ったフランス料理を作るときには、流通量が安定しないヒメジに変わってイトヨリで代用する事も多いようです。赤味がかった皮目の色と柔らかい白身の食感が似ているためです。

 

さて、このルジェの料理ですが、三枚に卸してソテーやポワレにする事が多いです。

少し手の手の混んだ料理になると、ジャガイモを薄く桂剥きにし、さらに丸く型抜きしたものをウロコに見立ててルジェの身に貼り付け、フライパンでバター焼きにする料理も定番のようです。


f:id:nyakomeshi:20220302115320j:image

ルジェは手に入らなかったので、よく似た魚としてヒメジ科ヒメジ属のヨメヒメジを使いました。

f:id:nyakomeshi:20220302115328j:imagef:id:nyakomeshi:20220302115336j:image

ヒメジは火を通しても柔らかく、クリーミー白身です。サックリ焼けたジャガイモが対象的な歯ざわりを演出し、食感の対比が楽しめました。

 

ヒメジ/ルジェと古代ローマについてはこちらにも書いています!

ヒマラヤ岩塩と恐竜の話





f:id:nyakomeshi:20210430132437j:image



私は仕込み中にラジオを聴く事があります。NHKの「子ども科学電話相談」はお気に入りで、いつも聴き逃し配信サービスで聴いています。

 

11月22日の放送で、岩塩についての質問がありました。

その時の名古屋市科学館主任学芸員の西本昌司先生のお話はとても興味深いものでした。

以下はその時の会話の一部を聞き書きしたものです。

 

昔ね、インドって別の大陸だったの。恐竜がいた頃はね、ちょっと離れてたの。離れてたってことは、インドとユーラシア大陸の間には海があった、って事。

インド大陸がだんだん北に動いてって、ユーラシア大陸に衝突したの。そしたら間にあった海がだんだん陸になって、蒸発しちゃったの。

それで、最後には間にあった地層が、お塩と一緒に山の上までギューッって盛り上げられちゃったの。すごいよね。

だから、今食べてるヒマラヤ岩塩ってのは、たぶん、恐竜時代の海の味だよ。

そう思うとさ、なんか、大事に食べないといけないな、と思わない?

だからさ、これから岩塩食べる時には、大昔の海の味なんだな、と思って食べて下さいね!

 

 

恐竜のいた時代の海の味。

なんという壮大なロマン。

 

調べてみると、インドとユーラシア大陸が衝突したのは約4000万年前。恐竜が絶滅したのは、6550万年前。少し時期にズレがあるようです。この頃にはインドとユーラシア大陸の間にあった海、テーチス海は徐々に干上がり始めていたのでしょうか。

 

アンモナイトの化石がエベレストから出てくる事はけっこう有名な話です。アンモナイトは恐竜と同じ6550万年前に絶滅してしまいました。

それがエベレストから出てくる、ということはやはり…ヒマラヤ岩塩も恐竜時代の海の塩。そう考えても良いのかもしれません。

ヒマラヤの岩塩。地球の歴史を感じながら、いただきます。

f:id:nyakomeshi:20201212022144j:image

参考HP

子ども科学電話相談https://www4.nhk.or.jp/kodomoq/

JAMSTEC国立研究開発法人海洋研究開発機構のHPよりhttp://www.jamstec.go.jp/j/about/press_release/quest/20150212/

参考文献

生命38億年の秘密がわかる本 学研プラス