にゃこめしの食材博物記

YouTubeチャンネル「古代ローマ食堂へようこそ」の中の人のブログ。古代ローマの食文化についての記事を中心に、様々な歴史や食文化について調べて書いているブログです。

古代ローマの美食家アピキウスの話

どうも、にゃこめしです。

私は古代ローマが好きで、素人ながらも趣味で歴史や食文化について調べたりしています。
古代ローマの食文化を調べる時に、絶対に名前が出てくる人物がいます。

それは、アピキウス。(アピシウスと表記する事も)。数々の逸話が残っている、古代ローマの美食家です。

f:id:nyakomeshi:20230312122330j:image

アピキウスは謎に満ちた人物で、残っている逸話のどれが本当にあったことなのかも今となっては分かりません。

アピキウスの名は紀元前80年頃から記録に現れます。紀元後1世紀、2世紀の記録にも登場し、4世紀頃書かれた『料理書』の作者であるとも言われています。

その為、何人かの美食家や料理人のエピソードがまるで一人の美食家アピキウスの物語のように混ざり合って、今日に伝えられているのではないか、と言われています。

そんなアピキウスについて書いてみたいと思います。

紀元前のアピキウス

紀元前一世紀のギリシャの哲学者、ポセイドニオスが残した著作の一部に、アピキウスと呼ばれる人物が登場します。

記録によれば紀元前80年頃、アピキウスは日夜派手で豪華な宴会を開き、美食家として名が知られるようになりました。

 

紀元一世紀ごろのアピキウス

私の調べ方に偏りがあるせいかもしれませんが、一番記録が多く残っているのはこの時代のアピキウスだと思われます。タキトゥスセネカ、大プリニウスによる記録が今日まで残されています。

名前はマルクス・ガウィウス・アピキウス(Marcus Gavius Apicius)。紀元後一世紀、アウグストゥス帝~ティベリウス帝の時代を生きた人物と言われています。

アピキウスは裕福な貴族で、金に糸目をつけない美食家でした。

古代ローマの政治家であり、優れた哲学者であったセネカはアピキウスについて次のように書きのこしています。

この人物は料理術の教師となりその教えで一世を風靡したのであった。

ところで、このアピキウスの末路については、知っておいて損はありません。この男は、調理場(で調理される宴会のごちそう)のために、一億セルテルティウスもの金をつぎ込みました。そして、毎回の宴会に、皇帝の恩賞金とか、カピトリウムの国庫に収められたばく大な税金に匹敵する金を、食い尽くしたのです。

その結果、彼は借金で首が回らなくなり、そのときはじめて、しかたなく自分の帳簿を調べてみました。計算すると、手元に残る額は一千万セルテルティウスでした。

すると彼は、一千万セルテルティウスで生活すれば最悪の飢餓に苦しみながら生きることになるといわんばかりに、毒を飲んで命を絶ったのです。

(中略)

この最後の飲み物は、これほど心がねじくれた人間にとっては、最も健康によいものでした。

セネカはアピキウスについてとても批判的な意見を持っていたようです。

質素を旨とし、自制心や忍耐力が大切だと説く、ストア派の哲学者であったセネカ。彼にとって、アピキウスの贅沢ぶりは正反対の価値観であり、許しがたいものだったのかもしれません。

セネカが書いたアピキウスのエピソードは他にもこのようなものがあります。


皇帝ティベリウスとヒメジの話 - にゃこめしの食材博物記

セネカより少し後の時代の歴史家タキトゥスも「年代記」の中で

金持ちの放蕩者アピキウス

とアピキウスの存在に言及しています。

 

また、博物学者の大プリニウスもアピキウスの存在に言及しています。

 

紀元二世紀ごろのアピキウス

紀元1世紀頃の記録に現れていたアピキウス。

ですがなんと、突如として2世紀頃の記録にも登場します。

ギリシャの詩人アテナイオスの記録によると、113年~115年頃、アピキウスは皇帝トラヤヌスに牡蠣を送ったと記されています。

勿論、ティベリウス帝の時代に毒を飲んだアピキウスとは別人です。

 

アピキウスの料理書

「アピキウスの料理書」は1世紀や2世紀のアピキウスが書いたものではありません。

  • 4世紀頃の世俗ラテン語で書かれている
  • 紀元2世紀より後の人物の名前をつけたメニューがある
  • それより以前はアピキウスの「料理書」について言及されていない

などの理由から4世紀末に編纂された物だと言われています。

印刷技術のない時代の話ですから、写本で伝えられてきました。ところが写本に写本を重ねると、間違いや写し漏れ、余計な付け加えや誤訳…。伝言ゲームの如く内容が変化していきます。

今日伝わっている「アピキウスの料理書」は原点とは随分違うものになっているようです。

しかし、依然として古代ローマの食生活を知る大きな手がかりになる事は間違いありません。

 

終わりに

古代のロマンを感じる「アピキウスの料理書」。日本語版の完訳は手に入れる事ができていませんが、一部が紹介されている本は私の手元にあります。

英語の本なら、電子書籍で安く読めるようです。私は英語があまり出来ないので、相当頑張らねばなりませんが…(笑)

 

私は金持ちの貴族ではないので、高い材料は手に入りませんが、できる範囲でいろいろ試作してみたいと思います。

古代ローマの饗宴の一部を垣間見る事が出来るかもしれません。

 

参考文献/参考HP

古代ローマの饗宴
エウジェニア・プリーナ・リコッティ著 武谷なおみ訳 平凡社

 

年代記
タキトゥス著 国原吉之助訳 岩波文庫

 

人生の短さについて 他2篇

セネカ著 中澤務訳 光文社古典新訳文庫

 

おいしい古代ローマ物語 アピキウスの料理帖
上田和子著 原書房

 

Wikipediaよりアピキウス(紀元前一世紀の人物)

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%94%E3%82%AD%E3%82%A6%E3%82%B9_(%E7%B4%80%E5%85%83%E5%89%8D1%E4%B8%96%E7%B4%80%E3%81%AE%E4%BA%BA%E7%89%A9)

 

 

皇帝ティベリウスとヒメジの話

どうも、にゃこめしです。

以前、『ルジェという魚の話』という記事にも書きましたが、古代ローマでヒメジ(ルジェ)という魚は大変好まれていた食材でした。お金持ちや貴族、美食家たちもこぞって手に入れたといいます。

今回もヒメジに関する面白い逸話を見つけました。

↓「ルジェという魚の話」はこちらから

 

紀元14年~26年頃の話と思われます。(ティベリウスが皇帝になってからカプリ島に引きこもるまでの間に起こった出来事と思われる逸話なので)

あるとき、皇帝ティベリウスに立派なヒメジが献上されました。なんと2.5㎏サイズだったと言われています。ヒメジにしてはかなりの特大サイズです。

ティベリウス帝のもとに、巨大なヒメジが贈り物として送られてきた。だが皇帝は市場に持って行って売りさばくよう命令し、次のように予言して言った。

「みなの者、このヒメジがアピキウスかオクタヴィウスのものにならなかったら、私は地獄に堕ちてもよいぞ!」

予想は見事に的中した。二人の男は競売で激しく競り合い、結局はオクタヴィウスが勝利して、友人たちからやんやの喝采を浴びた。皇帝の魚を五千セルテルティウスで買ったのと、付け値の額でアピキウスを負かしたことで、彼は大きな栄誉を獲得したのである。

セネカ『書簡集』95、42

当時は農業用奴隷一人の値段が1200〜2000セルテルティウスだったといわれています。

特大ヒメジ一匹は奴隷2.5〜4人分の値段がつけられた事になります。

古代ローマの美食がいかに熱狂的だったかわかるようなエピソードです。

↓アピキウスって誰だ?と思われた方はこちら


古代ローマの美食家アピキウスの話 - にゃこめしの食材博物記

参考文献/参考HP

古代ローマの饗宴

エウジェニア・サルツァ・プリーナ・リコッティ著 武谷なおみ訳 平凡社

 

年代記 上 タキトゥス著 国原吉之助訳 岩波書店

 

トンガの火山爆発と、日本の食卓に及ぼす影響を考えてみる

南太平洋のトンガ諸島にある海底火山「フンガ・トンガ」で1月15日1時ごろ、大規模な爆発が起こりました。恥ずかしながら私は最初、ニュースを見ても事の重大さがあまりピンと来ていませんでした。トンガの方々の事はもちろん気になるし、気の毒に思いましたが、情報が少なかったこともあり、なんとなく過ごしていました。

その夜、津波警報や注意報が日本の各地に出され、大変驚きました。沿岸部にお住まいの方や、避難された方、一晩中、眠れぬ夜を過ごされた方も多かった事と思います。無知な私にも事の重大さがジワジワとわかってきました。

そこで今日いろいろ調べて私なりに考えたことなどを、このブログのテーマである食材の事と関連付けて書いてみたいと思います。

なお、私は火山や気象や、世の中の動きなどは全くの専門外の素人です。むしろ常識的な知識が欠けているところも多い人間です。この記事に書いてある内容も「正しい知識」ではなく、「素人の考えた事」です。内容についてはご容赦下さい。正しい知識は、信頼性の高い情報を調べて判断くださいますようお願いいたします。

 

 

火山爆発指数について

地震の大きさを示す指標としてマグニチュードがあるように、火山の大きさを示す指標は火山爆発指数(VEI)というそうです。

火山爆発指数1は小規模、2は中規模、3はやや大規模、4は大規模、5~8は非常に大規模

・・・イメージしにくいですね。数字が1つ上がるごとに、噴火の規模は10倍になるそうです。1991年の雲仙普賢岳の噴火はVEI2、2014年の御岳山の噴火はVEI3だったそうです。江戸時代に富士山が大噴火したときはVEI5だったそうです。

西暦79年古代ローマの都市、ポンペイを一瞬で火山灰の下に埋もれさせたヴェスヴィオ火山の噴火もVEI5、そして、1991年のフィリピンのピナトゥボ火山の噴火はVEI6だったそうです。

そして、フンガ・トンガ火山の噴火はまだあまり信用できる情報がないものの、VEI5~6といわれています。

噴火の規模の大きさがうかがい知れます。

すぐに出そうな影響

太平洋側を中心に、日本各地で津波の警報・注意報が発令されました。まず予想されることは、漁師さん達がその晩(明朝)は漁に出られなかったことです。明日(1月17日)は近海物の魚介類がほとんど魚市場に入荷しないのではないかと思います。わずかに入荷した魚はきっと高値で取引されることでしょう。スーパーの鮮魚コーナーは冷凍物と養殖物が中心になるかもしれません。

とはいえ、普段から天候が悪い時はこのような状況になることも珍しくありません。

これは大した影響ではなさそうですね。

少し後に出そうな影響

南太平洋はキハダマグロメバチマグロの漁場です。もしかしたら一時、輸入がストップしてしまうかもしれません。

他に、オーストラリアやニュージーランド~日本間の航空便や船便なども影響があるかもしれません。

また、火山灰を含んだ雨は酸性雨になるそうです。日本に直接降ることはあまり考えれませんが、オーストラリアやニュージーランドや、南太平洋周辺諸国の農作物がダメージを受ける可能性も否定できません。

半年から一年ぐらい続くかもしれない影響

大規模な噴火により火山灰などが成層圏に大量に放出されると、太陽光が地表に届くのを遮ってしまいます。その結果、気温が寒冷化すると言われています。体感としてはわずかの気温の変化も、農作物に大きな被害をもたらします。

記憶に新しいのは1991年のピナトゥボ火山の噴火です。その時噴き上がった火山灰により、地球全体の気温が約0.5度下がりました。結果、記録的な冷夏となり、日本の稲作は大ダメージを受けました。輸入されたタイ米が食卓に上ったことを覚えている方も多いのではないでしょうか。(若い世代はわからないかな?)

既に、twitterに投稿された「平成の米騒動」を引き合いに出すような投稿が、猛烈にリツイートされまくっているようです。そのことをニュースも取り上げております。

気温の寒冷化が及ぼす影響はもちろん日本のお米だけではありません。

北半球はいま真冬ですが、南半球は今が夏です。

今、この時期に日照時間が短くなったり気温が下がったりすれば、オーストラリアやニュージーランド、場合によっては南米諸国の農業がダメージを受けるかもしれません。

(ちなみに1991年のピナトゥボ火山の噴火は6月7日、北半球はその年の夏が冷夏になりました。)

世界的に大きな影響がある作物は、小麦やトウモロコシなどでしょう。

穀物が不足し、価格が高沸する可能性もありそうです。

穀物を食べるのは人間だけではありません。家畜の飼料として南半球で生産される穀物の存在は大きいです。飼料が値上がりすれば、牛肉、豚肉、鶏肉、卵も値上がりが避けられません。

 

数か月後にはお肉や卵が値上がりして、家計を圧迫してしまうかもしれません。

しかし、日本の小売り産業や外食産業はインフレが起ころうと何が起ころうと全然値上げをしない傾向があるようにも思えます。その場合、小売り産業や外食産業は出血大サービス垂れ流し状態になってしまうのでは・・・結果、日本経済がジワジワと死んでいく・・・なんてのは、少々考えすぎでしょうか。

 

フンガ・トンガ火山の噴火による影響がどの程度でるのかはまだ、はっきりとした情報はわかりません。マスコミは正しい情報や専門家の見解は伝えてほしいですが、今後無駄に不安を煽るような報道になってしまいそうで心配です。

買占めや転売など、情報に踊らされた人々が混乱を引き起こさないか心配です。

 

参考文献/参考HP

候文明史 世界を変えた8万年の攻防
田家 康 日経ビジネス人文庫

気象庁HPより 有史以降の火山活動についてhttps://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/history_kaisetsu.html

朝日新聞デジタルより
火山爆発指数5~6の規模か ピナトゥボが6、「破局噴火」は7以上https://www.asahi.com/sp/articles/ASQ1J6399Q1JULBJ004.html

朝日新聞デジタルより
トンガ噴火で気候変動に懸念 SNSで「令和の米騒動」不安視する声https://mainichi.jp/articles/20220116/k00/00m/040/108000c

 

 

ルイ16世とジャガイモの話

どうも、にゃこめしです。

ルイ16世マリー・アントワネットといえば、きらびやかなイメージ。花に例えるなら薔薇、食べ物に例えるならケーキでしょうか。

しかし、マリー・アントワネットが愛し、髪に飾ったとされる花はバラではありません。ルイ16世が栽培を奨励し、パリ近くの国営農場で栽培させた作物の花です。

その植物とは…なんと、ジャガイモです。

おフランスのブルボン王朝とゴツゴツしたジャガイモのイメージは随分とかけ離れています。

今回はそんなジャガイモとルイ16世について調べてみました。

 

 

 

ジャガイモ栽培の歴史

ジャガイモはもともと、ヨーロッパには存在しない作物でした。

原産は南米、アンデス山脈。現地では6世紀頃から作物として栽培されてきました。豊富なデンプン質を含み、しっかりと満腹感の得られるジャガイモは、とうもろこしと並ぶ重要な食べ物でした。

16世紀頃、スペイン人が南米大陸に到達します。船乗り達は南米のジャガイモをお土産としてヨーロッパに持ち帰りました。

かくしてジャガイモはヨーロッパでも栽培され始めたのですが、当初は花や実を楽しむための珍しい植物という扱いでした。芋の部分は食べ物としてなかなか受け入れられなかったようです。理由としては、

  • ゴツゴツして見た目が悪い
  • 種でなく、芋(根茎)で増えるのは破廉恥な植物である
  • 聖書に載っていない食物は食べるべきではない
  • ハンセン病をおこすと信じられていた
  • 中毒をおこす

などです。

中毒に関しては実際に起こり得た話です。ジャガイモの芽や青くなった部分にはソラニンという成分が含まれており、食べると中毒を起こします。当時のヨーロッパではジャガイモに関する知識がないため、青くなった部分や芽や、時には茎や葉まで料理人が使用してしまい、中毒を起こしたといいます。

なかなか定着しなかったジャガイモですが、フランスよりも冷涼な気候でしばしば食料飢饉に悩まされていたドイツやオランダでは18世紀なかばごろから救荒作物として利用されるようになっていきます。

しかし、フランスでは家畜の飼料という扱いが長く続きます。

ルイ16世パルマンティエ

ルイ16世にジャガイモを食べる事を提案したのは、アントワーヌ・オーギュスタン・ド・パルマンティエという人物です。

医師であったパルマンティエは、フランスとプロイセンの間で起こった7年戦争に参加した際、捕虜として捕えられてしまいました。その間、ジャガイモばかりの食事を与えられたそうです。

フランスに帰国してからパルマンティエは、ルイ16世に救荒作物としてジャガイモを提案しました。

市民達にジャガイモを広めるため、いろいろな作戦を使ったと言われています。

 

まずはイメージ戦略です。

ルイ16世は胸に、そしてマリー・アントワネットは髪にジャガイモの花を飾りました。社交界のファッションリーダーであったマリー・アントワネットのおかげで、ジャガイモの花は御婦人達の羨望の的へと早変わり。競い合うように、自分たちの庭師にジャガイモを植えさせた事でしょう。

 

次に、市民たちに興味を持ってもらわなくてはいけません。

ルイ16世パルマンティエは、パリの国営農場にジャガイモを植えさせました。
そして、大層なお触書きをつけました。『これはジャガイモといって、王侯貴族のための特別な食べ物である。盗んだものは罰する。』などと。
さらに、畑に警備の兵までつけました。

この異様な空気感は人々の好奇心を大いにかきたてました。そして夜になるとわざと、警備を手薄にしたのです。

市民たちはこぞって、ジャガイモを盗みました。
警備の兵は市民たちからの賄賂を積極的に受け取り、どんどん盗ませたのだとか。

この逸話が本当かどうかはわかりません。プロイセンのフリードリヒ2世がドイツ国内にジャガイモを広めた時も同じような逸話が残っています。

 

ルイ16世パルマンティエのゆかいな大作戦のおかげでジャガイモはフランス国内でも食材として認知され始めました。

 

パンがなければ

「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」又は
「パンがなければブリオッシュを食べればいいじゃない」。

有名すぎるこのセリフですが、実はマリーアントワネットが言った言葉ではありません。
(「ある高貴なご婦人」の言葉であるという説や、ルイ14世の王妃マリー・テレーズの言葉であるという説、創作であるという説、などなど)

最近ではマリーアントワネットは家庭的で優しい人物だったのではないか、と見直され始めているようです。そろそろ彼女のセリフも

「パンがなければジャガイモを食べればいいじゃない」

に変わってもよい頃かもしれませんね。

 

まとめ

1788年の夏、干ばつがフランスを襲いました。小麦の収穫量は悲惨なものでした。そして冬になると一転して厳冬が訪れます。気温は氷点下を下回っているのに、人々は暖房の燃料も、食べ物もありません。

市民の暴動がおこります。最初に立ち上がったのは女たちでした。男たちも負けずに、我も我もと立ち上がります。

1789年の春になると、ブルジョワジー達は食料を求める市民の暴動を煽り、フランス革命へと変容させます。

 

国王ルイ16世、そして王妃マリーアントワネットも断頭台の露と消えました。

 

あともう少し早くジャガイモが普及していれば、そしてたくさん栽培されていたら、もしかしたら歴史は変わっていたのかもしれませんね。

 

パルマンティエはフランス革命後も生き延び、ジャガイモを普及させた功績でナポレオンから表彰されたりしてます。

彼の墓石の上には今でも、たくさんのジャガイモがゴロゴロとお供えされています。

 

参考文献/参考HP

日本いも類研究会HP
https://www.jrt.gr.jp/potatomini/potatomini_rekishi/

 

JAきたみらいHPより ジャガイモの歴史https://www.jakitamirai.or.jp/nousantop/potato/potato2/

 

ZUU onlineより
「ジャガイモ」を愛したマリー・アントワネットの悲劇 稲垣栄洋(植物学者)
https://news.line.me/issue/oa-zuuonline/64c9fcde4e0e

 

Atlas Obscuraより
Grave of Antoine-Augustin Parmentier
https://www.atlasobscura.com/places/grave-of-antoine-augustin-parmentier

 

Nobility and Analogous Traditional Elites
In the Allocutions of pius Ⅻより
https://nobility.org/2012/10/recipe-louis-xvi-marie-antoinette-potato/

 

↓こちらもご覧下さい!
ルイ16世のコロッケを作ってみた話 - にゃこめしの食材博物記

 

よしな(みず、ウワバミソウ)のムカゴの話

どうも、にゃこめしです。

本日の珍しい食材は…よしなのムカゴです!

よしなは、山の渓流や沢などの水が綺麗で湿潤な環境に生えている山菜です。

標準和名はウワバミソウといい、イラクサ科の多年草です。「よしな」というのは長野県や新潟県あたりの呼び名で、東北地方では「みず」と呼ばれます。

春〜夏は茎の部分を食べますが、秋になると茎にたくさんのムカゴがつきます。
f:id:nyakomeshi:20211031140732j:image

むかごの大きさは小豆粒〜大豆くらい。

茎を抱え込むようについています。
f:id:nyakomeshi:20211031140743j:image

分かりやすく広げてみると、こんな感じです。↓

f:id:nyakomeshi:20211031140812j:image

実は、このよしなのムカゴは下処理が済んだ状態で売られています。生えている時の姿はどうだったかというと…


f:id:nyakomeshi:20211102150354j:image

このように、

一つの節に葉が一枚と根本にムカゴ一つがついています。中には根が出ているものも。これが節ごとに切れ、ムカゴで繁殖します。

この可愛らしい小豆色のムカゴですが、さっとお湯に潜らせると、あざやかな緑色に変わります。
f:id:nyakomeshi:20211031140849j:image

鍋に熱湯を沸かし、塩を小さじ1入れ、よしなをいれると、一分ほどでみるみる色が変わってきます。ムカゴが緑色になったら、すぐに引き上げて冷水にとります。

アクがほとんどない山菜なので、それだけですぐに食べられます。

 

ドレッシングやポン酢をかけてもよいし、マヨネーズでも。私はお浸しにしました。

包丁で細かく叩いて粘りを出したものは「みずとろろ」といいます。ご飯に乗せたりお酒のアテに、美味しいですよ!

浅漬けも美味しいです。下の写真は青森県のお漬け物です。

f:id:nyakomeshi:20211031140841j:image

シャッキリした歯ごたえとぬるぬる食感、一年中食べたいと思ってしまうような、よしなのムカゴでした。

 

参考文献

原色日本植物図鑑 保育社

 

今回はよしな(みず・ウワバミソウ)のムカゴの話でした。長芋・山芋のムカゴの話はこちら↓

 

巨大オクラ「ダビデの星」とオカルトの雑談

どうも、にゃこめしです。

先日、「ダビデの星」という品種の大きなオクラが手に入りました。名前がカッコ良すぎて厨二心をくすぐります。

f:id:nyakomeshi:20211021030818j:image

見てください、この大胆なデカさ。f:id:nyakomeshi:20211024013556j:imagef:id:nyakomeshi:20211024013819j:image

普通のオクラと比べると、この通りです。f:id:nyakomeshi:20211024013720j:image

これだけ大きいと、食感は硬いのではないかと思いきや、とても柔らかくてジューシーです。茹で時間も普通のオクラと同じで十分でした。

f:id:nyakomeshi:20211024014738j:image

サラダにして食べました。種が目立ちますが、食べてみると全然気になりません。肉厚なので食べごたえがあります。ぬめりが口いっぱいに広がり、すごい満足感でした!

 

さて、この「ダビデの星」というカッコいい品種名は、このオクラを切った時や真上から見た時の形から名付けられたのだと思います。

f:id:nyakomeshi:20211026021724j:image

ダビデの星」とは正三角形を2つ重ねた六芒星のマークです。イスラエルの国旗の真ん中にも描かれており、ユダヤ教のシンボルとして使われています。

f:id:nyakomeshi:20211021021406j:image
地図に使えるフリー素材https://freesozai.jp/より

 

この「ダビデの星」マークの起源はよく分かっていないようです。有名な説では17世紀、神聖ローマ帝国ユダヤ人部隊の旗印として作られたという話です。

ダビデ王は、旧約聖書のサムエル記及び列王記に登場する古代イスラエルの王様です。ダビデ(David)の名前はDで始まりDで終わります。
そこでアルファベットのDにあたるギリシャ文字のΔ(デルタ)を2つ組み合わせて、旗印にしたのが始まりとされています。

ですが他にも、もっと古いシナゴーグに描かれていたとか、タナッハ(聖書)に描かれていたとか、いろいろな説があるようです。 

 

それ以外でも、全く他の地域、他の民族の遺跡に「ダビデの星」らしきマークが描かれているものが発見されたりします。日本の神社にもあります。

六芒星それ自体はシンプルなマークなので、ユダヤに関係しない所でも同じマークが装飾に使われている事はごく自然な事だと考えられます。

ところが。

一部のトンデモ歴史論オカルト方面では、この「ダビデの星」が日ユ同祖論の根拠だと言われる事があります(苦笑)

例えば、三重県志摩市伊雑宮(いざわのみや)という神社があります。この神社の御神紋は正六芒星、つまりダビデの星と同じマークなのです。だからこの神社はユダヤと関係があったのではないか、といった調子です。

さらに、伊雑宮(いざわのみや)という名前はイザヤ書のイザヤを表している、とか、こじつけ放題。

ちなみに日本では「ダビデの星」の正六芒星マークは、籠を編んた時の目に似ているので「籠目紋(かごめもん)」と呼ばれ、昔から普通に使われています。ユダヤは関係ありません(笑)

 

私はオカルト方面も嫌いではないので、「ムー」などを読む事もあります。もちろん歴史とは別のエンターテインメントとして、「なんでやねん(笑)」などと心の中でツッコミを入れながら。

 

しかし最近気になるのは、世の中には色んな判断をする人がいるのだな、という事です。 新型コロナウイルスの流行が始まってから特に、感じるようになりました。これは人々の考え方が変わったというより、元から結構ヤバい考え方の人が多かった事が顕在化したように感じます。

ワクチンで人類が洗脳されるとか、〇〇の陰謀論とか、日本人は他民族より特別優秀だとか、信じている人は自分が思ったよりもはるかに多いらしいのです。

日ユ同祖論なども信じている人はいるのでしょうか…?

 

参考文献(?)

ムーSPECIAL 失われた日本の超古代文明FILE

歴史雑学研究倶楽部 編 学研パブリッシング

 

 

 

毒きのこで亡くなった人達の話

どうも、にゃこめしです。

今回は食材の話…ではなく、食べてはいけない物の話になります。魅力的かつ恐ろしい食材、キノコ。

毎年、毒キノコ中毒で亡くなった方やキノコ狩りに出かけて事故に遭われた方のニュースを耳にします。

私がここ一年間で読んだ本の中から、キノコを食べてお亡くなりになった方々の話を3つ紹介したいと思います。

お釈迦様と毒きのこ

エントリーナンバー1、お釈迦様!

ブッダこと、お釈迦様は80歳を超えても旅をして教えを説いておられました。ある時、とても敬虔な信者である、村の鍛冶屋のチュンダという男がブッダの一行をもてなしたいと申し出ました。数々の料理が並んだ食卓。その中の一つに珍しいキノコの料理がありました。その料理を見て、お釈迦様はこう言いました。

「チュンダよ、あなたの用意したきのこ料理を私に下さい。また、用意された他の噛む食物・柔らかい食物を修行僧らにあげてください。」

そしてお釈迦様はチュンダのきのこ料理を召し上がりました。そして、食べ終わった後にはこう言います。

「チュンダよ。残ったキノコ料理は、それを穴に埋めなさい。神々・悪魔・梵天・修行者・バラモンの間でも、また、神々・人間を含む生きものの間でも、世の中で、修行完成者(如来)のほかには、それを食して完全に消化し得る人を見い出しません。」

お釈迦様は毒きのこだと分かっていて召し上がりました。チュンダへの優しさでしょうか。それとも、自らの命の終わりを予感して、受け入れておられたのでしょうか。

その後お釈迦様は食中毒と思われる症状に苦しみます。

赤い血が迸り出る、死に至る激しい苦痛が生じた

とありますから、かなりの痛みが想像されます。お釈迦様は弱りきった身体でクシナガラという土地へ向かい、沙羅双樹の樹の下でお亡くなりになり、涅槃に入られました。

ちなみに鍛冶工のチュンダが用意した料理は、きのこ料理であったとする説が一般的ですが、豚肉の料理であったとする説もあるようです。

 

クラウディウス帝と毒きのこ

エントリーナンバー2、皇帝クラウディウス

クラウディウス古代ローマ帝国の4代目皇帝です。先天的に少し障害があったとされ、歩行と会話に支障をきたしていたそうです。

そのため本来なら皇帝の後継者候補にならなかったはずでしたが、他の後継者候補が相次いで亡くなったり、暗殺されたりしたため、皇帝に擁立されました。

皇帝となった後は、予想を裏切る政治的手腕を発揮し、安定した統治となるように見えましたが…

実は女性にめっぽう弱く、奥さんの尻に敷かれっぱなしだったと言われています。4番目に結婚したアグリッピナという女性は、クラウディウスに詰め寄り、彼女の連れ子の息子を次の皇帝にする事を無理やり約束させました。そして…

クラウディウスの大好物であったきのこ料理に毒を仕込み、夫を暗殺しました。

wikipediaなどで検索するとクラウディウスの死因は毒キノコによる中毒であったという記事が多く見られます。

しかし実際は何の毒で暗殺されたかは定かではありません。アグリッピナはロクスタという女性の毒薬調剤師を召し抱えていたとも言われています。

古代ローマの歴史家タキトゥスによれば、こう語られています。

毒物はかくべつおいしいきのこに盛られた。その利きめはそう早く認められなかった。(中略)食事の後ですぐ胃を洗滌したので助かったようである。そこでアグリッピナは狼狽した。(中略)共犯をすでに約束していた侍医クセノポンを呼びつける。彼はクラウディウスが食べ物を自然に吐瀉する試みを手伝うと見せかけ、効力の早い毒物を塗った羽毛を、喉の奥につっこんだといわれる。

別の歴史家スエトニウスによると、こう記されています。

彼女はきのこに毒をもり、この種の料理が大好物であったクラウディウスに差し出した。(中略)クラウディウスは毒を飲むとすぐ口がきけなくなり、一晩中悶え苦しみ、夜明け頃に息を引き取ったと。別説によると、クラウディウスは初め意識を失い、やがて食べた物を口から戻し、みな吐き出してしまったので、再び毒を飲まされた。

毒きのこによる中毒かどうか、真相は歴史の深い闇の中です。ちなみにこの後皇帝になるアグリッピナの連れ子というのが、悪名高い暴君ネロです。

 

遠野物語の人々と毒きのこ

エントリーナンバー3、遠野物語の人々!

遠野物語に収録されている、ザシキワラシ(座敷童子)の話から。

遠野のある村の男が、見かけない女の子二人組に出会います。不思議に思って、どこから来たのかと尋ねると女の子達は「山口孫左衛門の家から」と、どこへ行くのかと尋ねると「別の村の誰それの家へ」と答えます。

男はこの二人はザシキワラシだと直感しました。ザシキワラシは住み着いた家に繁栄をもたらす妖怪だと言われています。そのザシキワラシが出ていってはしまっては、孫左衛門の家も落ちぶれるかもしれないな、と男は考えました。

それから程なくして、孫左衛門の家では7歳の女の子以外、家族も使用人も全員が毒きのこの中毒で亡くなりました。

その時の様子はこう書かれています。

孫左衛門が家にては、或る日梨なしの木のめぐりに見馴みなれぬ茸きのこのあまた生はえたるを、食わんか食うまじきかと男どもの評議してあるを聞きて、最後の代の孫左衛門、食わぬがよしと制したれども、下男の一人がいうには、いかなる茸にても水桶みずおけの中に入れて苧殻おがらをもってよくかき廻まわしてのち食えば決して中あたることなしとて、一同この言に従い家内ことごとくこれを食いたり。

科学的根拠のない、毒きのこの見分け方や毒の抜きかた、今でも時々耳にしますね。

縦にさけるキノコは毒が無い、とか、ナスと一緒に煮れば毒が消える、とか。もちろんこれらは完全な迷信であり、毒が抜けることはありません。

もちろん、苧殻と一緒に水に浸したキノコも毒が抜けることはなく、一家全滅の悲劇となりました。

 

おわりに

恐ろしくも魅力的な食材、きのこ。
ある種類は滋養に富んだ食べ物であり、別の種類は恐ろしい中毒を引き起こすきのこ。

数年前、秋の長野県へ旅行した時、天然のきのこがたくさん売っていました。ハナイグチ、コウタケ、ショウゲンジ…など初めて見るきのこがたくさん。山の幸、というものはこれほどまでに豊かなのかと驚かされました。

そして、きのこの種類を特定する難しさも、改めて感じました。
図鑑を見ても、どれがどれだか、何が何だか。
素人は手を出すべきではないですね。

キノコの同定の難しさから中毒を恐れて、近年は天然キノコの流通を規制する動きもあるようです。

個人的には山の幸と共に暮らしてきた地域の文化を大切にしてほしいという思いもあります。
しかし、人命にかかわる事でもありますから、物事はそう簡単ではありません。流通するキノコを一本一本検査するのは不可能ですから。

きのこと人間との攻防戦、まだまだ結論は出せそうにありません。
きのこを利用する人間達の攻防戦は、これからも続いて、新たな歴史になるのでしょう。

↓長野県の林道の駐車場の端っこで見つけた、イグチの仲間と思われるキノコ。
食べられるのかもしれないが、命が惜しいので食べていない。
(欠けているが、かじったのは私ではない。)
f:id:nyakomeshi:20211015130312j:image
↓ベニタケの仲間と思われるキノコ。食べられる種類もあるらしいが、ドクベニタケと区別がつかない。もちろん、食べない。
f:id:nyakomeshi:20211015130319j:image


 

参考文献

ブッダ最後の旅-大パリニッバーナ経
中村 元  岩波文庫

年代記 タキトゥス 国原吉之助訳
岩波文庫

ローマ皇帝伝 スエトニウス 国原吉之助訳
岩波文庫

遠野物語 柳田国男 青空文庫