爽やかな季節です。スーパーの店頭にもエンドウ豆がたくさん並んでいます。旬ですね。
ところで、「ツタンカーメンのエンドウ」をご存知の方も多いと思います。さやが紫色をしたエンドウ豆です。中の豆は普通の緑色ですが、豆ごはんにするとごはんがお赤飯のように赤紫になります。味は普通の緑のエンドウ豆と同じで、おいしいです。
しかし、「ツタンカーメンのエンドウ」と呼ばれるあの紫のエンドウ豆は、果たして本当にツタンカーメンの墓から出てきたものなのか、疑問に思った方も多いのではないでしょうか。
私とツタンカーメンのエンドウ
小学生の4年生だったか5年生だったか。◯年の科学という学研の雑誌を買ってもらっていました。毎月付録がついてくるのですが、その中の一つにツタンカーメンのエンドウ栽培キットがありました。
25年くらい?前の事なので記憶もおぼろげですが、ツタンカーメンのマスクの形をした青いプラスチック製の植木鉢と、土と、エンドウ豆の種がセットになっていたように思います。
私はものぐさな子供だったので、届いてもすぐには植えず、植え付けの時期を大幅に遅れてしまいました。
結果、芽は出ませんでした。
しかし今思えば、すぐに植えていてもあのエンドウ豆が育つ事はなかっただろうと思います。
なぜなら、
イタズラ好きだった妹達は植木鉢をどこに置いてもひっくり返して中の豆をほじくり出すし、その時こぼれる土を赤ちゃんだった弟は口に入れてしまうし、
母親はジョウロから水が一滴でも床にこぼれると金切声をあげるし、
早々に嫌になってしまったに決まっています。誌面に何が書いてあったかはすっかり忘れてしまいました。あ~ぁ…。
ところで先日、農産物直売所でツタンカーメンのエンドウを見かけました。小学生時代の記憶と共に、疑問がふつふつと湧いてきます。
あの美しき少年王ツタンカーメンは、紫色のエンドウ豆を食していたのか…。
ツタンカーメンのエンドウの真実と歴史
2019年5月22日のニューズウィークに記載された中東研究家の保坂修司さんのコラムが、ツタンカーメンのエンドウの謎を解き明かしてくれていました。
このブログの最後にリンクを貼り付けておくので詳しく知りたい方はそちらを読んで頂ければ、と思いますので、
ここではその内容を時系列に沿って簡単にまとめるだけにしておきます。
- 1838年 英国のエジプト研究家ジョン・ウィルキンソンが古代エジプトの遺跡から壺に入ったエンドウ豆を発見、英国の園芸家ウィリアム・グリムストーンに豆をゆずった。(ただし、科学的根拠のある資料は見つかっていないとされる)
- 19世紀後半 グリムストーンが「ミイラのエンドウ」を商品として売り出す。数年の後にブームは終了し、「ミイラのエンドウ」は忘れられた存在となる。
- 1922年 ツタンカーメンの墓が発見される
- 1930年代 英国・米国の園芸家の間で「ツタンカーメンのエンドウ」が登場。(ここでも科学的根拠のある資料は見つかっていないとされる)
- 1956年 米国の園芸家から水戸市の小学校に「ツタンカーメンのエンドウ」が寄贈される
- 1957年 水戸市の小学校のエンドウ豆が読売新聞に取り上げられる
- 1986年 学研がバイオ技術を用いて水戸市の小学校で育てられたエンドウから150万粒の種を製造。以後『5年の科学』の付録として「ツタンカーメンのエンドウ」を全国へ知らしめる
以上が時系列にそった流れです。
ツタンカーメンの王墓発見より前に英国では「ミイラのエンドウ(mummy's pea)」が存在していた事、科学的根拠のある資料に乏しい事、そして英米の園芸家達のビジネスが深く関わっていた事が伺い知れます。
そして1986年以降、長年にわたり学研は全国の子供達に「ツタンカーメンのエンドウ」の種子と、古代のロマンと嘘をばらまき続けお届けし続けました。
私もそれを受け取った中の一人だった、というわけです。
もちろん科学や歴史は新たな発見がなされればそれまでの定説が覆る事もありますから、ツタンカーメンのエンドウに関わる資料が今後発見されないとも限りませんが‥‥。
5年の科学とツタンカーメンのエンドウ
さて、「◯年の科学/学習」など学研のホームページから付録の一部を写真で見る事が出来ました。ピラミッド型の植木鉢からエンドウ豆の芽が出てきた写真が掲載されていました。
残念ながら私の記憶にあった、青いプラスチック製ツタンカーメンのマスク形の植木鉢ではありませんでした。
私が付録を受け取った頃から10年くらい後の商品です。その間に商品の企画が変わったのか、私の記憶が間違っているのかは分からずじまいです。もし同じような記憶や、当時の写真や記録などお持ちの方がいらっしゃいましたら、教えて頂けると大変嬉しく思います。
何年に発行されたものか調べかねているのですが、5年の科学の誌面にはツタンカーメンのエンドウの由来に付いて以下のような一文が掲載されていたようです。
ツタンカーメンの紫エンドウは王墓の発掘者のハワード・カーターが見つけて持ち帰ったと言われています。ロンドンのギルバード夫人がゆずり受け、夫人の庭師が植えて次の世代の種をとることに成功し、各地に広がりました。教材の紫エンドウは、アメリカに送ったサクラとイチョウの木のお礼に、日本の小学校に送られてきた種から、ふやしたものです。
古代エジプトと発掘された豆
エンドウ豆ではありませんが、古代エジプトの遺構から豆が発見された事は実際にあるようです。
- ソラマメが第五王朝サフラー王の神殿の墓地から発見される
- ソラマメが第十二王朝期のドウラ・アブ・ナガの墓から発見される
- ヒヨコマメが紀元前1400年頃の墓から発見される
- レンズマメが先王朝時代の墓から発見される
- レンズマメが第三王朝ジョゼル王のピラミッドの地下室の中から発見される
- レンズマメが新王国時代の墓から発見される
など。
豆の実物が発見された事例以外にも、豆に関する多くの記録や資料が残されており、古代エジプト人にとって豆類が大変身近な食材だった事が分かります
エンドウ豆も古代エジプトでも食べられていた事は確認されているようです。
以上は日本におけるエジプト研究の第一人者、吉村作治氏の著書から得た情報でした。お味噌のCMでおなじみの方ですね。余談ですが私は幼い頃、吉村作治と堀内孝雄の区別がついていませんでした(笑)
まとめ
以上の事から、
- ツタンカーメンのエンドウは英国・米国の園芸家達が作り上げた嘘
- 学研は日本全国の子供達に「ツタンカーメンのエンドウ」という名で紫エンドウの種子を配布した
- ツタンカーメンの墓からエンドウが発見されたという歴史的資料、それが発芽したという科学的資料は無い
- だけど古代エジプトの王の墓から豆が発見される事はある。
- 古代エジプトでもエンドウ豆は食べられていた
という事がわかります。
紫エンドウに関するツタンカーメンの伝説は残念ながら根拠の無い嘘のようですが、
美しき少年王ツタンカーメンも、エンドウ豆を食べていたかもしれません。
参考文献/参考HP
https://www.newsweekjapan.jp/amp/hosaka/2019/05/post-29.php?page=4
学研科学のふろくギャラリー
https://www.gakken.co.jp/sp/campaign/70th/furoku/index_2009.html
ファラオの食卓ー古代エジプト食物語