にゃこめしの食材博物記

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ルイ16世とジャガイモの話

どうも、にゃこめしです。

ルイ16世マリー・アントワネットといえば、きらびやかなイメージ。花に例えるなら薔薇、食べ物に例えるならケーキでしょうか。

しかし、マリー・アントワネットが愛し、髪に飾ったとされる花はバラではありません。ルイ16世が栽培を奨励し、パリ近くの国営農場で栽培させた作物の花です。

その植物とは…なんと、ジャガイモです。

おフランスのブルボン王朝とゴツゴツしたジャガイモのイメージは随分とかけ離れています。

今回はそんなジャガイモとルイ16世について調べてみました。

 

 

 

ジャガイモ栽培の歴史

ジャガイモはもともと、ヨーロッパには存在しない作物でした。

原産は南米、アンデス山脈。現地では6世紀頃から作物として栽培されてきました。豊富なデンプン質を含み、しっかりと満腹感の得られるジャガイモは、とうもろこしと並ぶ重要な食べ物でした。

16世紀頃、スペイン人が南米大陸に到達します。船乗り達は南米のジャガイモをお土産としてヨーロッパに持ち帰りました。

かくしてジャガイモはヨーロッパでも栽培され始めたのですが、当初は花や実を楽しむための珍しい植物という扱いでした。芋の部分は食べ物としてなかなか受け入れられなかったようです。理由としては、

  • ゴツゴツして見た目が悪い
  • 種でなく、芋(根茎)で増えるのは破廉恥な植物である
  • 聖書に載っていない食物は食べるべきではない
  • ハンセン病をおこすと信じられていた
  • 中毒をおこす

などです。

中毒に関しては実際に起こり得た話です。ジャガイモの芽や青くなった部分にはソラニンという成分が含まれており、食べると中毒を起こします。当時のヨーロッパではジャガイモに関する知識がないため、青くなった部分や芽や、時には茎や葉まで料理人が使用してしまい、中毒を起こしたといいます。

なかなか定着しなかったジャガイモですが、フランスよりも冷涼な気候でしばしば食料飢饉に悩まされていたドイツやオランダでは18世紀なかばごろから救荒作物として利用されるようになっていきます。

しかし、フランスでは家畜の飼料という扱いが長く続きます。

ルイ16世パルマンティエ

ルイ16世にジャガイモを食べる事を提案したのは、アントワーヌ・オーギュスタン・ド・パルマンティエという人物です。

医師であったパルマンティエは、フランスとプロイセンの間で起こった7年戦争に参加した際、捕虜として捕えられてしまいました。その間、ジャガイモばかりの食事を与えられたそうです。

フランスに帰国してからパルマンティエは、ルイ16世に救荒作物としてジャガイモを提案しました。

市民達にジャガイモを広めるため、いろいろな作戦を使ったと言われています。

 

まずはイメージ戦略です。

ルイ16世は胸に、そしてマリー・アントワネットは髪にジャガイモの花を飾りました。社交界のファッションリーダーであったマリー・アントワネットのおかげで、ジャガイモの花は御婦人達の羨望の的へと早変わり。競い合うように、自分たちの庭師にジャガイモを植えさせた事でしょう。

 

次に、市民たちに興味を持ってもらわなくてはいけません。

ルイ16世パルマンティエは、パリの国営農場にジャガイモを植えさせました。
そして、大層なお触書きをつけました。『これはジャガイモといって、王侯貴族のための特別な食べ物である。盗んだものは罰する。』などと。
さらに、畑に警備の兵までつけました。

この異様な空気感は人々の好奇心を大いにかきたてました。そして夜になるとわざと、警備を手薄にしたのです。

市民たちはこぞって、ジャガイモを盗みました。
警備の兵は市民たちからの賄賂を積極的に受け取り、どんどん盗ませたのだとか。

この逸話が本当かどうかはわかりません。プロイセンのフリードリヒ2世がドイツ国内にジャガイモを広めた時も同じような逸話が残っています。

 

ルイ16世パルマンティエのゆかいな大作戦のおかげでジャガイモはフランス国内でも食材として認知され始めました。

 

パンがなければ

「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」又は
「パンがなければブリオッシュを食べればいいじゃない」。

有名すぎるこのセリフですが、実はマリーアントワネットが言った言葉ではありません。
(「ある高貴なご婦人」の言葉であるという説や、ルイ14世の王妃マリー・テレーズの言葉であるという説、創作であるという説、などなど)

最近ではマリーアントワネットは家庭的で優しい人物だったのではないか、と見直され始めているようです。そろそろ彼女のセリフも

「パンがなければジャガイモを食べればいいじゃない」

に変わってもよい頃かもしれませんね。

 

まとめ

1788年の夏、干ばつがフランスを襲いました。小麦の収穫量は悲惨なものでした。そして冬になると一転して厳冬が訪れます。気温は氷点下を下回っているのに、人々は暖房の燃料も、食べ物もありません。

市民の暴動がおこります。最初に立ち上がったのは女たちでした。男たちも負けずに、我も我もと立ち上がります。

1789年の春になると、ブルジョワジー達は食料を求める市民の暴動を煽り、フランス革命へと変容させます。

 

国王ルイ16世、そして王妃マリーアントワネットも断頭台の露と消えました。

 

あともう少し早くジャガイモが普及していれば、そしてたくさん栽培されていたら、もしかしたら歴史は変わっていたのかもしれませんね。

 

パルマンティエはフランス革命後も生き延び、ジャガイモを普及させた功績でナポレオンから表彰されたりしてます。

彼の墓石の上には今でも、たくさんのジャガイモがゴロゴロとお供えされています。

 

参考文献/参考HP

日本いも類研究会HP
https://www.jrt.gr.jp/potatomini/potatomini_rekishi/

 

JAきたみらいHPより ジャガイモの歴史https://www.jakitamirai.or.jp/nousantop/potato/potato2/

 

ZUU onlineより
「ジャガイモ」を愛したマリー・アントワネットの悲劇 稲垣栄洋(植物学者)
https://news.line.me/issue/oa-zuuonline/64c9fcde4e0e

 

Atlas Obscuraより
Grave of Antoine-Augustin Parmentier
https://www.atlasobscura.com/places/grave-of-antoine-augustin-parmentier

 

Nobility and Analogous Traditional Elites
In the Allocutions of pius Ⅻより
https://nobility.org/2012/10/recipe-louis-xvi-marie-antoinette-potato/

 

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