どうも、にゃこめしです。
最近、古代ローマのレシピ集であるアピキウスの『料理書』の日本語訳を手に入れました。古代ローマの食について書かれた本に引用されているので、部分的には知っていたのですが、完訳版は初めてです。
今回はこのアピキウスの料理書について、誰が書いたのか、どうやって伝わったのかを深掘りしてみたいと思います。
美食家アピキウスについての記事↓
アピキウスの料理書、というからには美食家アピキウスが書いた本なのだろうと思いきや、実はそうではありません。
アピキウスが一世紀頃の人物であるのに対して、この『料理書』が書かれたのは4世紀頃だということがわかっています。
専門家達がそう結論づけた理由とは、この料理書が
- 4世紀頃の世俗的なラテン語で書かれていること
- 1世紀のアピキウスが生きた時代よりも後の人物の名前をつけたメニューがあること、
- アピキウスの「料理書」について言及されている資料は3世紀以降にしか見られないこと
などです。
美食家アピキウスが最も興味の無い分野である、食養生や医学に関する記述が含まれている事を理由に挙げる研究者もいます。
では、誰が書いたのかというと、作者は複数の人物だったのではないかと言われています。
実はこの『料理書』は内容も文体もバラバラであり、
完全な一品料理の作り方以外にも、材料や保存方法だけを列挙した部分、ソースの作り方ばかりの部分など、
料理や歴史に詳しくない人が読んでも、一人の作者が書いたものでは無いことに、簡単に気づくことが出来るものなのです。
研究者達によれば、
この料理書はアピキウス本人が書いた元の文献を元に、数世紀にわたって何度も編集され直したものであるとの事。
徐々に新しい料理が加えられ、古いものは除かれて少しずつ変化し、現在残っている形になったのではないか、と言われています。
ところで、古代の文献がどのように現代に伝わってきたのでしょうか。
印刷術がまだ発明されていない時代、人々は書物の内容を一文字一文字丁寧に書き写し、後の世に伝えてきました。
アピキウスの『料理書』もそうして作られた写本の一つです。
しかし、人間が書き写すのですから、間違いもおこります。書き間違いによって、ある単語が違う単語に置き換わってしまったり、原文の一部が書き写されずに抜け落ちてしまったり。
そのため、この料理書には大事な材料が入っていないメニューも存在します。
(たとえば「ヒメジのディルソース仕立て」には肝心のディルが入っていません。)
現存するアピキウスの写本はわずか二点だけです。
どちらも850年頃にベネディクト修道院で書写されたもので、一つはニューヨーク医学アカデミー図書館に所蔵されています。
もう一つははバチカン図書館に所蔵されており、こちらはオンラインで内容を閲覧ことができます。
↓バチカン図書館のデジタルライブラリー
https://digi.vatlib.it/
ここから閲覧することができます。
内容はすべてラテン語なので残念ながら私には読めませんが…
15世紀末に活版印刷が発明されて以降はヨーロッパ各国で翻訳・出版されました。
こうして古代ローマの料理書が伝わってきた結果、現代の我々にも情報が届いているわけです。
歴史のロマンを感じますね。
料理書に書かれている驚くべき内容は、折に触れて紹介していきたいと思います。
参考文献/『アピーキウス・古代ローマの料理書』ミュラ・ヨコタ宣子訳 三省堂
他