前回の記事は謎多き植物シルフィウムの歴史や伝承について書きました。
今回は薬草としてのシルフィウムについて書いていきたいと思います。
なお、シルフィウムにはラーセルピキウム他様々な呼び方がありますが、この記事では便宜上、植物自体をシルフィウム、その樹脂から作られた薬や調味料をラーセルと呼ぶことにします。
シルフィウムは古代ローマでは薬草として重宝された存在でした。その効能は幅広く、万能薬として使われたといいます。
ここではその薬効についてご紹介したいと思いますが、これらは古代の記述であり現代医学では誤った知識も多く含まれています。その点に注意してお読みください。
“老人や婦人にとっておおいに消化の助けになる”
“食物に入れて食べると病気の回復を多いに助ける”
内服薬として身体によさそうです。こんな効能を謳う薬、現代にもありますよね。
プリニウスは更に、ラーセルは外用薬として使うと“その治癒力がてきめんにわかる”といいます。
“飲用すると武器やヘビの毒を中和する。傷の周りにそれを水に溶いて塗る。サソリに刺されたときはそれに油を加える”
“腫れ物には大麦の粉あるいは干しイチジクに混ぜて貼る”
“足の底まめの周りをナイフで切っておいて蝋を混ぜたラーセルを塗るとそれが抜ける”
なんだか痛そうなんですけど…
“ザクロの皮とともに酢に入れて煎じた汁を肛門の周りのおできに用いる”
肛門の周り限定だそうです。
“エジプトマメほどの大きさのものを水に溶いて用いると利尿の効果がある”
やイヌに咬まれた傷にはラーセルをヘンルーダ又は蜂蜜と混ぜて何か粘着する物質を加えて貼りつける”
何かって、何でしょう…?
その他にもうがい薬として使うと咳・痰・扁桃腺に、酢で薄めて手足に塗ると痛風に、蜂蜜と混ぜると腰痛・座骨神経痛に効く、とプリニウスは書き残しています。
何にでも効果がありすぎて、もはやよく分からないですね。
プリニウスとほぼ同じ時代を生きた医者で薬学者のディオスコリデスの記述も見てみましょう。
“軟膏に加えると瘰癧やできものを治し、オリーブ油と混ぜてバップにして貼れば目の周りの黒アザによく、アヤメに混ぜたものは座骨神経質に効く”
“ザクロの皮に入れ酢で煮てパップにして貼れば疣痔を取り除く”
“蜂蜜と混ぜて塗れば視力を良くし、初期の白内障を散らす”
こちらも万能薬として扱われていますね。
“服用すると致死の毒薬に対する解毒剤になる”
“狂犬に咬まれた時は傷口に外用すると良く、あらゆる有毒動物や毒矢の傷に対しても塗ったり服用したりする”
毒消しの効果があるとも信じられていたようです。
“ブドウ酒、コショウ、酢と混ぜて塗りつけると禿げを直す”
これはきっと効果が無いと思います。こんなのでハゲが治るなら皆苦労してません。
さて、ネットで調べるとシルフィウムは堕胎薬という情報が多く見られます。
確かにシルフィウムは婦人科系の処方に用いられる事もあったようです。
プリニウスによれば、
“シルフィウムの葉は子宮を清め、死んだ胎児を下ろす薬に用いられる”
“月経を早めるために、それを柔らかい羊毛に浸しペッサリーとして用いる”
と書かれています。
しかし、ディオスコリデスはシルフィウムの効能に堕胎薬としての効能は書き残していません。
と思いきや、シルフィウムの次の項目にサガペノンという植物が紹介されています。サガペノンはシルフィウムやオオウイキョウに似た姿の植物で、同じように茎の乳液を取り出して使います。
骨折や捻挫、咳や熱などいろいろな症状に効く万能薬である一方で
“蜂蜜水といっしょに服用すると月経を促し、堕胎を引き起こす”
と書かれています。分類学が確立されていない時代、もしかしたらこのサガペノンもシルフィウムと混同されたり区別されることなく使われていたのかもしれません。
また、プリニウスより少し後の時代の二世紀、産婦人科の分野に特に造形が深かったエフェソスのソラノスという医者がいました。
ソラノスは著書『婦人科』の中で、妊娠を防ぐために水に溶かしたひよこ豆大のシルフィウムを毎月摂取することを提案しています。
実はウイキョウやオオウイキョウの仲間はフィトエストロゲンという女性ホルモンに似た働きをする成分を含んでいる事が分かっています。
普通に食べるくらいの量なら問題ありませんが、妊娠中の女性が過剰に摂取すると悪影響が出る事おそれがあるといわれています。
そのような効果からシルフィウムが婦人科系の治療薬や堕胎薬として利用されてきたのだと想像できます。
ただし、シルフィウムは確実な堕胎薬というわけでもなく、魔術的な薬草というわけでもありません。
古代の様々な避妊や堕胎の方法の一つとして用いられる事もあった、というのが現実ではないかと思います。
今回の記事は食べ物に関してではなく、古代の薬学についての記事になってしまいました。次回は美味しい調味料としてのシルフィウムについて書きたいと思います。
参考文献
『プリニウスの博物誌』
プリニウス著 中野定雄・中野里美・中野美代訳 雄山閣
『薬物誌』
ディオスコリデス著 岸本良彦訳・注 八坂書房