にゃこめしの食材博物記

どうも、にゃこめしです。自称・おもしろ食材探検家で、面白い食材を探したり、普通の食材の面白い話を探したりするのが好きです。歴史・文化・生物学に興味があります。京都で小さな飲食店を共同経営している料理人。

アピキウスの『料理書』が伝わった歴史

どうも、にゃこめしです。

最近、古代ローマのレシピ集であるアピキウスの『料理書』の日本語訳を手に入れました。古代ローマの食について書かれた本に引用されているので、部分的には知っていたのですが、完訳版は初めてです。f:id:nyakomeshi:20230310122651j:image

今回はこのアピキウスの料理書について、誰が書いたのか、どうやって伝わったのかを深掘りしてみたいと思います。

美食家アピキウスについての記事↓

アピキウスの料理書、というからには美食家アピキウスが書いた本なのだろうと思いきや、実はそうではありません。
アピキウスが一世紀頃の人物であるのに対して、この『料理書』が書かれたのは4世紀頃だということがわかっています。
専門家達がそう結論づけた理由とは、この料理書が

  • 4世紀頃の世俗的なラテン語で書かれていること
  • 1世紀のアピキウスが生きた時代よりも後の人物の名前をつけたメニューがあること、
  • アピキウスの「料理書」について言及されている資料は3世紀以降にしか見られないこと

などです。
美食家アピキウスが最も興味の無い分野である、食養生や医学に関する記述が含まれている事を理由に挙げる研究者もいます。

では、誰が書いたのかというと、作者は複数の人物だったのではないかと言われています。
実はこの『料理書』は内容も文体もバラバラであり、
完全な一品料理の作り方以外にも、材料や保存方法だけを列挙した部分、ソースの作り方ばかりの部分など、
料理や歴史に詳しくない人が読んでも、一人の作者が書いたものでは無いことに、簡単に気づくことが出来るものなのです。

研究者達によれば、
この料理書はアピキウス本人が書いた元の文献を元に、数世紀にわたって何度も編集され直したものであるとの事。
徐々に新しい料理が加えられ、古いものは除かれて少しずつ変化し、現在残っている形になったのではないか、と言われています。

ところで、古代の文献がどのように現代に伝わってきたのでしょうか。
印刷術がまだ発明されていない時代、人々は書物の内容を一文字一文字丁寧に書き写し、後の世に伝えてきました。
アピキウスの『料理書』もそうやって作られた写本の一つです。

しかし、人間が書き写すのですから、間違いもおこります。書き間違いによって、ある単語が違う単語に置き換わってしまったり、原文の一部が書き写されずに抜け落ちてしまったり。

そのため、この料理書には大事な材料が入っていないメニューも存在します。
(たとえば「ヒメジのディルソース仕立て」には肝心のディルが入っていません。)

現存するアピキウスの写本はわずか二点だけです。
どちらも850年頃にベネディクト修道院で書写されたもので、一つはニューヨーク医学アカデミー図書館に所蔵されています。f:id:nyakomeshi:20230310122813j:image

もう一つははバチカン図書館に所蔵されており、こちらはオンラインで内容を閲覧ことができます。

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バチカン図書館のデジタルライブラリー
https://digi.vatlib.it/
ここから閲覧することができます。
内容はすべてラテン語なので残念ながら私には読めませんが…

15世紀末に活版印刷が発明されて以降はヨーロッパ各国で翻訳・出版されました。f:id:nyakomeshi:20230310123814j:imagef:id:nyakomeshi:20230310124715j:image

こうして古代ローマの料理書が伝わってきた結果、現代の我々にも情報が届いているわけです。

歴史のロマンを感じますね。

料理書に書かれている驚くべき内容は、折に触れて紹介していきたいと思います。

↓今、欲しい本

参考文献/『アピーキウス・古代ローマの料理書』ミュラ・ヨコタ宣子訳 三省堂

 

 

大エビの古代ローマ風レシピ(アピキウスの料理書より)

どうも、にゃこめしです。

古代ローマの美食家アピキウスは大きなエビを求めて海を渡っても、満足なエビに出会えなかったという話を、前々回は書きました。

気になるのは満足のいくエビが手に入ったならアピキウスはどうやって食べるつもりだったのかという事です。

そこでミュラ=ヨコタ宣子さん訳の日本語版『アピキウスの料理書』を参考に、古代ローマのエビ料理を作ってみたいと思います。 f:id:nyakomeshi:20230218233451j:image
ちなみにアピキウスの料理書には材料の分量も、詳しい調理手順も書かれていません。料理人によって少しづつ再現される料理が変わってきます。
ここでご紹介するレシピも「正解」ではなく、私的にはこうだったんじゃないかな~と思う「仮説」の一つとしてお読み頂ければと思います。

手に入りにくい材料の代用品

エゾネギというのはチャイブというアサツキに似たネギの事です。アサツキ、万能ネギなど細めのネギで代用します。

ラヴィッジというのは別名「山のセロリ」とも呼ばれるハーブです。ベビーセロリで代用します。

ナツメヤシ(デーツ)は手に入らなければ干し柿やレーズンで代用しても大丈夫だと思います。

濃縮葡萄汁は代用としてポートワインを大さじ2。なければみりんで代用します。

リクァーメンというのは魚醤の事です。いしる、しょっつるナンプラーなど今回は能登半島で買ったサバのいしるを使いました。

レシピ

材料

大エビ、イセエビ、ロブスターなど 1~2匹
ブラックタイガーなどで作る場合は 10匹ほど
細ネギ(万能ネギ、アサツキ、ワケギなど)50g
ベビーセロリ15g
干しナツメヤシ 2粒
オリーブ油 大4
赤ワイン 大3
酒精強化ワイン又はみりん大2
魚醤(いしる、しょっつるナンプラーなど)大3
ワインビネガー 大2
蜂蜜 大1
キャラウェイ ひとつまみ
クミン ひとつまみ
胡椒 少々

ソースから作っていきます。

1.細ネギ、ベビーセロリ、ナツメヤシをそれぞれみじん切りにしておきます。

2.フライパンにオリーブ油を入れて火にかけ、ネギを炒めます。焦げ付かないように弱火でじっくりと時間をかけて、色づくまで炒めます。

2.1で刻んでおいたセロリとナツメヤシを加え、さらにキャラウェイ、クミンを加えます。

3.さっと炒めたら赤ワイン、酒精強化ワイン、ワインビネガー、魚醤、蜂蜜を加えます。アルコールを飛ばし、胡椒で味を整えます

ソースができたら、エビを調理します。

4.エビは真水でさっと洗い背わたを取り除きます。

5.鍋にたっぷりと湯を沸かし、塩を小さじ二杯(分量外)ほど加えます。エビをまっすぐ仕上げたい方は串を打っておきます。

6.沸騰したお湯にエビを入れ、茹でます。3~4分でエビが赤くなり、上に浮き上がってきたら引き上げます。

7.熱いまま殻をむき、一口サイズに切り分けます。大エビ、イセエビなど頭も食べる場合は半分に割っておきます。

8.皿に盛り付け、ソースをかけたら完成です。

試食

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特製ソースはじっくりと炒めたネギの旨味がたまりません。魚醤をベースにワインや蜂蜜で甘みをつけたソースは親しみがわく味です。
若干ウスターソースやお好みソースに似た味もしつつ、効かせたハーブがエキゾチックな雰囲気もかもし出しております。
クミンの食欲をそそる香りとキャラウェイ漢方薬を思わせるすっきりした香り、そしてセロリの風味。

大変美味しかったです。

 

 

 

 

プリニウス『博物誌』に登場する魚の話

1世紀後半。古代ローマに大プリニウスという博物学者がいました。

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↑画像wikimediacommonsより

プリニウスは大変勤勉で好奇心旺盛な人でした。勉強に費やす時間以外はすべて時間の浪費であると考えました。
彼の甥の小プリニウスは手紙の中で伯父プリニウスの人並み外れた生活について書き残しています。
プリニウスは公職に就いて多忙な生活の中でも勉強の時間を確保するため、さまざまな工夫をしていました。
休憩時間や食事の時間は朗読者に本を読ませ手早く覚え書きを作り、常に自分の傍に本と書き板を持った速記者を伴って行動していました。
浴槽に浸かっている時間以外はすべて読書に費やし、また、睡眠時間もとても短くてすむ体質だったようです。

彼の残した著書、全37巻の「博物誌」は膨大な文章量を誇ります。内容は多岐に渡り、天体の事、ローマの属州とそこに暮らす人々の事、動物の事、植物の事、人体の事、薬物の事などです。

その中には当然、その時代の食文化を知ることができる記述も多く含まれています。
今回はその中から魚に関する記述をいくつか引用してみたいと思います。

マグロ
この魚はいくつかに切り割かれる。そして首と腹が美味とされる。新鮮であれば喉もそうだ。(中略)マグロの他の部分全部が筋肉もなにもくるめて塩漬けにして保存される。

部位ごとに切り分けて売られているのは現代も同じですね。首というのは「背カミ」と呼ばれる中トロの部位でしょうか。腹はご存じ大トロ、中トロです。喉はカマの部分でしょう。現代日本と同じく、脂ののった部位が好まれていたことがわかります。

ベラ
今日では第一の地位はベラの類に与えられる。これは反芻し、ほかの魚を食わずに草を食べると言われている唯一の魚だ。(中略)オプタトゥスによってそこからいくらかのベラが輸入され、ティベル河口とカンパニア海岸の間に分配され放流された。(中略)その後、以前はイタリア沿岸では捕獲されることがなかったのに、しばしば見つかるようになった。このようにして食い道楽が、魚を養うことによって、今までになかった珍味にありつくようになったし、海には住民を授けたのだ。

草を食べる、との記述からベラ目の中でもブダイの仲間であることが分かります。おそらく地中海ブダイ(European parrotfish、Sparisoma cretense)でしょうか。
ブダイの仲間はとても美味しいです。とくに、火を通した時のホロホロととろけるような食感はやみつきになります。日本でももっと評価されても良いはずの魚…と思いきや、古代ローマではかなり評価が高かったのですね。

カマス
もっとも賞味されたカマスの種類は、そこの肉が白く柔らかいので羊毛カマスと呼ばれた種類である。(中略)しかしカマスの仲間は川で取れるのが珍重される。

カマスとカワカマスは同じ生き物と認識されていたのかもしれません。(前者はスズキ目カマス科、後者はカワカマス目カワカマス科の全く別種の魚)
しかし、食材としてはカワカマスのほうが高級品として別の扱いを受けていたようです。カワカマスは現在もフランス料理の食材です。

 

プリニウスの『博物誌』は膨大な情報量を誇りますので、今回ご紹介できたのもほんの一部です。まだまだ面白い記述がたくさんありますので、また紹介していきたいと思います!

参考文献/『博物誌』プリニウス著 雄山閣 中野定雄・中野里美・中野美代 訳

↓参考文献じゃないけどオススメ

 

 

 

美食家アピキウスと大きな海老の話

どうも、にゃこめしです。

今回も古代ローマの美食家アピキウスのエピソードです。

 

紀元二世紀頃の作家、アテナイオスの「食卓の賢人たち」にはこんなエピソードが見られます。


アピキウスという男がいました。彼は非常に金持ちで贅沢な男で、何百万ドラクマもの金を腹の中に費やしました。

ある時アピキウスはカンパニアの都市ミントゥルネに滞在して、とても大きな海老を食べました。その海老は地中海のどこで捕れる物よりも大きく、立派でした。
しかし、アフリカのリビアで捕れる海老はもっと大きくて美味しいという噂を聞きつけたアピキウスはすぐに船に乗り込み、リビアに向けて出航しました。

当時の船旅は今よりもずっと困難がつきものです。嵐や荒れ狂う海に苦労しながらもアピキウスはリビアにたどり着きました。
その噂はアピキウスの船がリビアの港に着く頃にはすでに伝わっていました。リビアの漁師たちはアピキウスの船が見えるやいなや、その日の獲物のうちで最高の海老をもって、船に近寄って行きました。

期待に胸を膨らませながら、船の欄干から身を乗り出すアピキウス。
しかし彼は、漁師の海老をちらりと一瞥しただけで、ミントゥルネの海老と大した違いがない事に気づきます。
がっかりしたアピキウスはリビアに上陸する事もなく、そのまま帰ってしまいました。

 

なんと贅沢な…と思うような逸話ですが、それだけ新たな食材を探し出すのに情熱を傾けていたのかもしれません。

アピキウスは食の芸術家か、それともワガママな贅沢者か。

あなたはどちらだと思いますか?

参考文献/

古代ローマの饗宴 エウジェニア・サルツァ・プリーナ・リコッティ著 武谷なおみ訳 平凡社

COOKERY AND DINING IN INPERIAL ROME Apicius著 JOSEPH DOMMERS VEHLING編集

 

 

 

クレオパトラの焼き鳥の話

どうも、にゃこめしです。

先日、1934年のアメリカ映画『クレオパトラ』を見ていると、とても気になるシーンがありました。

何と、小鳥の焼き鳥が登場するのです。

古代ローマの将軍アントニウスクレオパトラが出会うシーンです。
クレオパトラは自身の色気や巧みな話術、大勢の踊り子が繰り広げる幻想的なショーでアントニウスを誘惑します。誘惑に負けてワインを一気に飲み干すアントニウス

そこへご馳走が運ばれてきました。その中には長い串に刺さった小さな肉片が。

「これは何?」尋ねるアントニウスクレオパトラはこう返します。

「ナイルのヒゲガラ」

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ヒゲガラ(髭雀)というのはスズメ目ヒゲガラ科に属する小鳥です。両頬に黒い模様があり、ヒゲに見えることが名前の由来です。
全長は15㎝程。食べる部分は少ししかなさそうですね。

f:id:nyakomeshi:20220708010518j:image(↑画像:Wikimedia Commonsより)
ヒゲガラは現在エジプトに生息していないのですが、2000年程前のエジプトは温暖で湿潤な気候だったらしいので、現在と生息域が異なるのかもしれません。

しかしながら、少々疑問が残ります。
英語字幕で確認してみると、このセリフは
「reed bird from the Nile」となっています。f:id:nyakomeshi:20220707013201j:image

reed birdで調べてみると、ヨシキリの仲間の小鳥の総称のようです。湿地のヨシ原に巣を作り、繁殖します。reed(ヨシ、葦)のbird鳥というわけです。

f:id:nyakomeshi:20220708111739j:image(↑画像:Wikimedia Commonsより)

では、あの焼き鳥はヨシキリだったのでしょうか。

ヒゲガラもヨシキリ類と同様に、ヨシ原で営巣し繁殖します。ヨシキリとは種族が違いますが、reed birdという言葉の中にはもしかするとヒゲガラも含まれているのかもしれません。

古代エジプトでは家畜や家禽の肉の他に色々な小鳥類も食べていました。

アントニウスは怪訝な顔でヒゲガラの焼き鳥を見つめていますが、この直後、何のためらいもなくヒゲガラの焼き鳥を口へ放り込みます。なぜなら古代ローマ人も様々な小鳥を食用としていましたから…。

ニワムシクイ、ズアオアトリ、ズアオホオジロ、スズメ等々…。

エキゾチックな雰囲気のワンシーンを飾る小道具として、効果的に使われるヒゲガラの焼き鳥でした。

関連する記事↓

食材としての小鳥達について記述している部分があります。

 

 

 

 

豆苗からエンドウ豆を育てた記録2022

ベランダ菜園での実験、豆苗からキヌサヤ(エンドウ豆)は育つのか。

2021年春はこの実験は大成功でたくさんのキヌサヤが収穫できました。

その事に味を占めて、2022年春も豆苗からキヌサヤ(エンドウ豆)を育てました。最初から最後までの記録を備忘録的にまとめておきたいと思います。

2月14日

スーパーで買ってきた豆苗を美味しくいただきました。食べた後の豆苗の根の塊から、根をなるべく切らないように数本とりだします。昨年は、上部を食べずに残したまま植えましたが、2022年は上部をバッサリ切っています。さて、上手く育つのでしょうか。
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3月6日

ようやく、新しい芽が出てきました。寒さのせいか、ここまでかなり時間がかかってしまいました。ちなみに、ここは関西の市街地で特に寒い地域ではないです。

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3月24日

かわいらしい葉がたくさん出てきました。

他の方が育てているエンドウ豆の様子と比較してみると、ウチの豆苗はかなり成長が遅いようです。さすがに首なし状態からの再生はエネルギーの消耗が激しかったのでしょうか?

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4月8日

スーパーにはエンドウ豆がたくさん出回る季節です。ウチの豆苗達はようやく草丈が伸び、ツルを出し始めたのでコンテナに植え替えです。支柱も立てました。

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5月5日

花が咲き始めました。美しいです。

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5月18日

花盛り、実もなり始めました。
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5月20日

キヌサヤ、収穫です。

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5月25日

収穫。写真はありませんが、この他にも3回程キヌサヤを収穫しています。
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6月3日

気温が高くなり、湿気も多い季節が始まりました。元・豆苗のエンドウ達は突然、葉が白く粉を吹いたような状態になってしまいました。根元ではアブラムシの発生も始まっています。急いで残りの豆をすべて収穫しました。病気やアブラムシが他の植物にうつらないようらエンドウの株は直ぐに引き抜いて処分しました。

ありがとう、また来年と心の中でつぶやきながら。

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エンドウ豆として収穫。
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サヤは見た目が悪くなってしまいましたが、豆は大丈夫。小粒ながら、香りも良く、美味しそうです。
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私の好物、豆ご飯にしました。
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6月27日
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6月3日に収穫したエンドウ豆の一部を、冷蔵庫の中に置き忘れていました。

根が伸びまくっています。
自分のズボラさに呆れるとともに、エンドウ達の生命力に驚きました。このまま捨ててしまうのは可哀想な気がしたので、ダメ元で土に植えました。

 

6月30日


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エンドウ豆は暑さに弱いはずなのですが猛暑の中、元気に発芽。
育つのかな。
メンデルの法則に従うなら、自家採種したエンドウ豆を育てると、どんな性質の豆が育つかわかりません。
シワのある豆や色の違う豆ができるかも。それはそれで楽しみですが、暑さで育たない可能性が高いです。

 

続く…かもしれない

 

追記:その後しばらくは順調に育ったのですが、結局、真夏の暑さで枯れてしまいました。やはり季節を無視しての栽培はできなかったようです。発芽したエンドウたちにはかわいそうなことをしてしまいました。反省。

↓2021年の記録はこちらから

↓来春は豆苗を育てるかツタンカーメンのエンドウを育てるか迷っています

 

 

 

 

イセエビとタコの戦いとアリストテレスの話

どうも、にゃこめしです。

先日でポンペイ展で「イセエビとタコの戦い」というモザイク画を見てきました。f:id:nyakomeshi:20220627214144j:image

このテーマは壁画の題材として好まれたようで、「イセエビとタコの戦い」を描いた画は他にも存在します。しかしこれには一体どのようなストーリーがあるのでしょうか。

じつはこれは、古代ギリシアの哲学者アリストテレスの著作から引用したテーマだとされています。
ローマ人はギリシャの学問に精通していることが大切な教養でした。大きな家を持つ者はギリシャの神話や哲学者の語った内容などを壁画にして、教養の高さを示していたといいます。

アリストテレスは著書『動物誌』で以下のように記しています。

タコと大型のエビとアナゴは三すくみの関係にある。
すなわちまず、タコは大エビを食べる。大エビは自分と同じ網の中にタコがいると分かっただけで恐怖のために死んでしまうほどだという。
ところがタコは、一方でアナゴには食べられてしまう。アナゴは体がぬるぬるしていて、タコも戦うすべがない。
しかしこんなアナゴも、大エビにはやられてしまうそうだ。

普及版 世界大博物図鑑 別巻2 
水生無脊椎動物 荒俣宏

アリストテレス曰く、イセエビとタコとアナゴはお互いに得意な相手と苦手な相手を一つずつ持つことで、三者とも身動きが取れなくなる状態だというのです。
ジャンケンのグーチョキパーのような存在です。

ちなみここで言及されているアナゴはウツボの事だと思われます。

古代ローマの文献ではウツボはアナゴやウナギと混同されており、翻訳の際も区別されないことが多いです。
しかし、この三すくみのテーマを説明する場合、ウツボと解釈したほうが自然なので、以下ウツボと表記します。

ポンペイ展で展示されていモザイク画、「イセエビとタコの戦い」の中央部分を拡大してみると

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上にウツボがいるのがわかります。

さらに、別の「イセエビとタコの戦い」のモザイク画を見ると

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こちらは右側にウツボがいます。

さらに、こちらはローマ国立博物館所属の紀元前2世紀頃のテンペラ画です。f:id:nyakomeshi:20220627235526j:image
(画像はwikimedia commonsより)

ウツボも戦いに参戦しております。絡まり合って三つ巴状態です。

ちなみに、アリストテレスの著述と現実の生態とを比較してみると、少々納得のいかない部分もあります。現実の生態では、

タコはイセエビを好んで捕食します。
ウツボはタコを好んで捕食します。
そして、イセエビは海底の微細な貝類や甲殻類節足動物などを捕食します。ウツボは食べません。(アナゴも食べません)

これでは三すくみが成立しませんが、日本で昔から伝わっている三すくみの例である、虫拳(カエル、ナメクジ、ヘビ)なども必ずしも納得のいくものではありません。

ジャンケンみたいにまぁそういうモノ、という認識程度で良いのかもしれません。

ちなみにイセエビはウツボと共生関係を築く事があるそうです。
イセエビは捕食者であるタコからウツボに守ってもらい、
ウツボは大好物であるタコがイセエビを捕食しようと寄ってくるからだそうです。

ウツボとイセエビが一緒に仲良く過ごしている光景が、アリストテレスにはイセエビがウツボを襲って食べているように見えたのかもしれませんね。