昭和の頑固オヤジといえば、ちゃぶ台返しですね。有名なのはやはり、巨人の星の星一徹でしょう。そのパロディは数知れず。しかし、このちゃぶ台返し、いつの時代から存在したのでしょうか。気になったので調べてみました。
前提条件
昔から怒りをあらわにする際の動作として物をひっくり返す、という行為は存在します。遡れば紀元前、いや有史以前、もしくは現生人類が登場する以前から存在した行為かもしれません。
しかし、それらは「ちゃぶ台返し」と呼べるものではありませんでした。なぜなら、ちゃぶ台がまだ存在しなかったからであります。
従って、今日皆様がよく知る「ちゃぶ台返し」が成立するには、ちゃぶ台の存在が不可欠なのであります。
ちゃぶ台の始まり
ちゃぶ台が歴史の表舞台に登場したのは意外にも近代の事であります。
その起源の一つは西洋料理のダイニングテーブルです。
明治時代、西洋料理店があちこちにできるとテーブルスタイルの飲食店が登場し始めます。西洋料理店は「ちゃぶちゃぶや」や「ちゃぶや」「ちゃぶ店」などと呼ばれる事がありました。
ブロークンイングリッシュで商談が行われる際、「食べる」を「ちゃぶちゃぶ」と言ったのが語源とされています(おそらくは口にものを掻き込むような手振りつきで)。
西洋料理店のテーブルは「ちゃぶだい」と呼ばれるようになりました。
しかしこれはダイニングテーブルの事で、椅子に座って食事をするためのものです。いわゆる「ちゃぶ台」の形とは違います。
もう一つの起源はしっぽく料理にあります。しっぽく料理は長崎で江戸時代に発達した料理です。中華料理の影響から円卓に大皿料理を並べ、数人で囲んで食べる、というスタイルを取ります。
最初は円卓と椅子だったのですが、日本の文化に合わせてタタミの上に座って食事をするために背の低い、足の短い円卓が登場します。この見た目はもはや、ちゃぶ台です。実際、ちゃぶ台の事を「しっぽく台」という地域もあるそうです。
しかし、この時代(江戸時代〜明治中期頃)は一般的にはお膳で食事をしていました。
まだ「ちゃぶ台返し」ができる機会はほとんど無いといえます。一般家庭でちゃぶ台が定着するのはもう少し後の時代になります。
ちゃぶ台をすすめた簡易生活者
明治の後期頃になると、実用性を重視し・余計な物事を排除し・簡易で簡素な生活を目指すという思想が生まれてきます。それらは簡易生活と呼ばれ、知的階級を中心に広がって行きました。
社会主義者の堺利彦という人もそんな中の一人でした。明治36年に刊行された『家庭の新風味』のなかでちゃぶ台を使う事を薦めています。
食事のときは家族の会合のときである。家族の団らんは、食事のときに実現されなければならない。このことから考えると、食事はかならず、家族の全員が、おなじときに、おなじ食卓をかこんでなされるべきである。その食卓は円くても、四角くても、テーブルでも、シッポク台でもよいから、ひとつの台でなくてはならない。従来の膳は廃止すべきである。
同時に同一食卓で食事をするとなると、皆が同一の物を食べるべきであることは当然である。男性の中には自分だけ家族とはちがう特別な料理を食べる者もいるが、これは不人情で不道理でけしからんことである。
それまでのお膳での食事は、座る位置やおかずの品数で家父長制や上下関係をはっきりとさせるなど、儀式的な意味合いを持ちました。ちゃぶ台での食事を推進する事で、平等さや簡易さを実現しようとしたわけです。
ちゃぶ台といえば、今では亭主関白や頑固オヤジのイメージと結びついていますが、当時は平等さや簡易さのイメージだったというのが意外で面白い所です。
堺利彦という人は他にもガス台を利用して調理時間や手間を短縮しようという主張もしていたりします。
なかなか面白い人だな、と思うのですが、結構ゴリゴリの思想家、活動家だったらしく、投獄されたことも何度か。政治や思想については私にはわかりませんので、ここでは触れないでおきます。
この頃から(明治後期〜大正)、都市部を中心に、徐々にちゃぶ台を導入する家庭が増えていきます。
もうそろそろ、「ちゃぶ台返し」が発生する条件が整ってきましたね。
ちゃぶ台返し全盛期
明治後期〜大正と、徐々にちゃぶ台で食事をする家庭が多くなりました。
そしてついに、大正14年、お膳で食事をする家庭より、ちゃぶ台で食事をする家庭が多くなります。そのままちゃぶ台を使う家庭は昭和25年頃まで増加し続けます。昭和30年代には大抵の家庭はちゃぶ台で食事をするという情況となりました。
そう、アノ時代です。古き良き昭和の時代。
さぁ、「ちゃぶ台返し」全盛期!!
全国の頑固オヤジ達が「バカモン!」の怒号とともにちゃぶ台をひっくり返します!
都市部でも農村部でも、東京でも地方でも! ちゃぶ台、ちゃぶ台、ちゃぶ台返し!!!
ちゃぶ台返しの時代の終焉
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
あれだけ隆盛を極めたちゃぶ台も、戦後からジワジワとその数を伸ばしてきた、ダイニングテーブルとイスの勢力に追い越される時代がやって来ます。
昭和45年ごろを境にダイニングテーブルを使う家庭の方が多くなり、徐々にちゃぶ台は姿を消し始めました。それは生活様式の変化とともに家族のあり方の変化も反映したものでした。共働き家庭も増え、典型的な亭主関白・頑固オヤジも徐々に数を減らし始めます。
昭和という時代とともに「ちゃぶ台返し」も終焉を迎えます。
終わりに
昭和が終わり、更に平成まで終わり、令和の現代。ちゃぶ台で食事をした事がない若い世代も珍しくありません。
現実世界からは「ちゃぶ台返し」は姿を潜めて久しいです。
しかし、「ちゃぶ台返し」という言葉は若者達も知っており、マンガやメディアの至るところに出現します。YOUTUBEで「ちゃぶ台返し」と検索すると、ちゃぶ台の他にテーブルや会社のデスク、商品の陳列棚など、ありとあらゆる物をひっくり返す動画が出てきます。
ちゃぶ台を用いた「ちゃぶ台返し」とは少し違いますが、「ちゃぶ台返し」原理主義にこだわる必要もないでしょう。
「ちゃぶ台返し」という概念は形を変えつつも、現代を生きる我々の心の中に生き続けているのです。
そう、「ちゃぶ台返し」は永久に不滅です!
参考文献
簡易生活のすすめ 山下泰平 朝日新聞出版