にゃこめしの食材博物記

YouTubeチャンネル「古代ローマ食堂へようこそ」の中の人のブログ。古代ローマの食文化についての記事を中心に、様々な歴史や食文化について調べて書いているブログです。

皇帝ウィテリウスの大食いエピソード

どうも、にゃこめしです。

今回は古代ローマ8代目の皇帝、ウィテリウスの大食いエピソードの数々を紹介していきたいと思います。


ウィテリウスがどのような人物で、どんな皇帝だったのかなどの歴史的な部分は前回の記事で解説していますので、そちらもご覧下さい。

とにかく食い物のことしか考えない大食漢だとされるウィテリウスは

ウィテリウスは食事は常に三度、ときには四度にもわたって、朝食と昼食と夕食と夜ふけの酒盛りを摂り、いつも嘔吐によってどの食事も難なくこなしていた

と、いわれています。また、

同じ日に、違った人からそれぞれ別の食事に自分を招待させていた

そうです。
普通の人ならもう、食べ物を見るだけでもイヤになりそうですね。
そして、それぞれの食事の費用は40万セステルティウス以上だったと記録されています。当時の一般の兵士の年収が900セステルティウスなので、兵士445人の年収分を一度の宴会で使った事になります。
どれ程豪華な饗宴を企画すればそうなるのでしょうか。

ウィテリウスの為の饗宴のなかでとりわけ豪勢だったのはウィテリウスの弟が開いた饗宴でした。
入念に吟味された二千匹の魚と七千羽の鳥が食卓に供されたと伝えられています。

しかしウィテリウスがこの宴会の差し入れに用意させた大皿料理はもっと凄いものでした。ウィテリウスは桁外れに大きい特別性の大皿を「街の防御者ミネルウァの盾」と呼んび、愛用していたとされています。(画像はメトロポリタン美術館の女神ミネルウァ像)

その大皿には地中海のあちこちからで集められたベラの肝や、キジとクジャクの脳みそ、フラミンゴの舌、ヤツメウナギの白子が混ぜ合わされていた、と伝えられています。
もはや何が何だかわからない状態ですね。せめて混ぜ合わせないでほしいです…。

これだけの食事をとりながら、ウィテリウスはつまみ食いをすることもあったようです。

彼は飽くことを知らぬばかりか、時もわきまえぬ、さも食い意地のはった男であったので犠牲式の最中にすら、ときには旅の途中にも自制できずに、祭壇に供えてある麦粉菓子をその場ですぐとって食べ、あるいはほとんどかまどの上から肉をとったり、道路に面した料亭から周辺に焼く匂いのただよう魚や肉も、あるいは前日の食い余しでも、食べていた

もう、見境がないですね。祭壇の物は食べるとバチがあたりそうですし、お店の商品を勝手に取って食べるのはかなり迷惑です。

ここまでのエピソードは歴史家スエトニウスの『ローマ皇帝伝』に書かれたものです。スエトニウスの残した記述は古代ローマを知る上で大切な資料である一方で、かなりゴシップ的な要素も含まれています。どこまで信用するかは研究者次第なのですが、多少大袈裟に書かれていると思ったほうが良いのかもしれません。

歴史家スエトニウス ニュルンベルグ年代記(1493)に描かれた肖像画

別の歴史家タキトゥスによる記述も見てみましょう。
ウィテリウスは

僅か数ヵ月のうちに九億セステルティウスも浪費したと信じられている

と書かれています。
当時の軍隊全員分の給料が年に約二億セステルティウスだったといわれています。その4.5倍も浪費してしまっています。
この費用には市民のために剣闘士試合や戦車競争を派手に催した費用なども含まれていますが、ウィテリウスの宴会に使われたお金ももちろん含まれていることでしょう。

タキトゥスはこうも書いています。

彼の胃袋は意地汚く飽きることがなかった。都からもイタリアからも味覚を刺激する珍味が調達され、東西両側の海から内陸への街道は荷車の音で喧しかった。町の名士は饗宴の準備で破産した。

ウィテリウスの元へどんどん食材が運ばれる様子が伝わってきますね。
多少誇張された記述かもしれませんが、ウィテリウスの食欲のせいでローマ帝国が異常事態に陥っている様子がうかがえます。

そんな大食い皇帝ウィテリウスの食べた料理はどんなものだったのでしょうか。

古代ローマのレシピ集、アピキウスの『料理書』にはウィテリウスの名前がついた料理のレシピが2つ伝わっています。

一つ目は「子豚のウィテリウス風」。子豚を丸焼きにして魚醤と蜂蜜とハーブのタレをたっぷり染み込ませた料理です。
ウィテリウスのイメージにぴったりですね。

残り二つは意外にも、豆料理です。
次回はこのウィテリウスの豆料理を再現して試食したいと思います。

参考文献/
ローマ皇帝伝』スエトニウス著 国原吉之助訳 岩波文庫
『同時代史』タキトゥス著 国原吉之助訳 筑摩書房
『アピーキウス・古代ローマの料理書』アピキウス他著 ミュラ=ヨコタ宣子訳 三省堂