これまで、いろいろ古代ローマの食材や料理について調べてきましたが、その時に良く引用するのがプリニウスの『博物誌』です。
今回はそのプリニウスの『博物誌』とは、どんな本なのかご紹介したいとおもいます。
原題はNaturalis Historiaといい、直訳すると『自然史』となりますが、その内容は自然物だけにとどまらず人間との関わりや歴史や文化など多くの内容を網羅しているため、日本では『博物誌』というタイトルになっています。
西暦77年に完成し、皇帝ウェスパシアヌスの息子で、後の皇帝ティトゥスに捧げられました。
プリニウスは多忙な公務の合間の時間を最大限勉強の時間にあて膨大な書物を読み、常に側らに速記者を連れて抜粋のメモを作らせていました。
その集大成ともいえるのがこの『博物誌』です。
37巻という膨大な文章量を誇り、その内容はこの世の中の全て森羅万象に関する情報を項目別に記述したもので、後の百科事典にたとえられる事もあります。
記載された事柄は2万項目に及び、ローマの著作者146人と外国の著作者327人による文献合計2000点を参照したとされています。
他の著作からの抜粋や事実の記録にとどまらず、面白いこぼれ話が挿入されたり、時に話が大きく脱線したり、プリニウスの感想が述べられたりすることもあります。
文章全体にプリニウスの自然観や人生観が反映され、百科事典というにはあまりにも人間臭い魅力があります。
さて、この博物誌は中世ヨーロッパでは権威ある科学書の一つとして多くの写本が作られました。古いものでは5世紀のものが不完全な状態ではあるものの、発見されています。(一部が『博物誌』の写本だったが羊皮紙を再利用するために表面のテキストを削り、洗い流した後に別の写本に書き換えられたものが発見されています。)
現存するものの多くは9世紀から15世紀頃に作られたものです。
古代ギリシア・ローマ時代の高度な学問は西ローマ帝国の滅亡やキリスト教的価値観の中でヨーロッパ地域では失われ、イスラム世界で保存されました。そしてそれらはルネッサンス期にヨーロッパに再導入された、という話はご存じの方が多いと思います。
しかし、プリニウスの『博物誌』は中世ヨーロッパでも失われることなく写本が作られ、
さらに独自の発展を遂げていきました。
『博物誌』の中の薬学に関する部分を抜粋したものは『Medicia Plinii(邦訳無し、プリニウスの医学)』という書物となり、修道院の診療所で用いられました。
動物の性質に関する部分はキリスト教的価値観と結びつけて動物の生態を説明する『Bestiarum(動物寓意譚)』などの書物に変化しました。
15世紀に活版印刷がヨーロッパ地域でも用いられるようになると、プリニウスの『博物誌』も印刷され、さらに広まっていきます。
日本や中国にも伝わってきています。フランドル出身の宣教師で清の康熙帝(こうきてい)に仕えていたフェルビーストという人物の書いた『坤輿外記(こんよがいき)』という書物がありますが、これは『博物誌』からの抜き書きだろうといわれています。日本には江戸時代後期頃伝わってきたとされています。
しかし、時代が進むとプリニウスの『博物誌』は次第に批判されるようになりました。近代科学の発達に伴い、その時代の尺度で古代の科学や思想を批評する事が行われたためです。
もちろん、『博物誌』の内容は現在の我々からみると誤った記述も多く、荒唐無稽な物に思えるかもしれません。
しかし、それだけで古代の書物の価値を判断することはもちろん、大きな間違いです。
プリニウスの大きな功績は古代の情報の膨大なストックを残してくれた事です。
こうして我々が古代ローマの人々の世界観やものの考え方を知ることができるのも『博物誌』が残っているおかげです。
次回の記事では、博物誌の内容と構成を簡単にですがご紹介していきます!