ラテン語でラーセルやラーセルピキウム又はラーセルピティウム
などと呼ばれますが、便宜上この記事では植物自体をシルフィウム、その樹脂からできた薬や調味料をラーセルと呼ぶことしたいとおもいます。
太く大きい根と、ウイキョウに似て同じくらい太い茎を持っている。この植物の葉はマスペトゥムと呼ばれていた。それはセロリに酷似しており、種子は葉に似ていて、葉そのものは春になると脱落した
プリニウスとほぼ同時代を生きた、医者で薬学者のディオスコリデスの記述も見てみましょう。
“シルフィウムはシリア、アルメニア、メディア寄りの地方やリビアに生育する。その茎をマスペトンといい、オオウイキョウに似ている。葉はセロリに似ており、種子は幅広で葉のようであり、これはマギュダリスという。”
太い根を持つことや秋ではなく春に葉が落ちる事からおそらく多年草であること、
葉がセロリに似ている記述から深く切れ込んだ鋸歯のある葉だったこと、
種子は葉に似てという記述から、翼果と呼ばれる翼をもった種子をつけていたことがわかります。
これらの特徴とオオウイキョウに似ているという記述からシルフィウムはセリ科オオウイキョウ属の植物の一種だったと考えられています。
ちなみに誤解を避けるために説明しておかなくてはいけないのですが、オオウイキョウは漢方で大茴香と呼ばれる植物とは全く別の植物です。別名、八角やスターアニスと呼ばれる大茴香はトウシキミという植物で、今回出てくるシルフィウムの仲間はセリ科オオウイキョウ属の植物になります。
さて、シルフィウムは古くは古代ギリシアのソロンやソポクレスの作品に名前が登場するそうです。その頃からシルフィウムは古代地中海世界で利用されてきたのでしょう。
古代ギリシアの植物学者テオプラストスの『植物誌』には太い根、セロリに似た葉などその形状や効能について述べられています。
古代ローマ時代に書かれた資料では、シルフィウムの歴史は史実と伝説が混ざったような話から始まります。
紀元前611年の事です。
大シルティス湾付近で樹脂のような色の雨が降りました。黒い豪雨によって湾に面したアフリカの土地は500マイル以上にもわたって水浸しになったといいます。
その水が引いたときからシルフィウムはキュレナイカ、今のリビアの地域にに生えるようになりました。最初は雑草のように一面に茂っていたといいます。
ちょうどその頃(前630年)、古代ギリシャの人々がこの地域にやってきて植民都市を作っていましたので、
シルフィウムはキュレナイカの人々に薬や調味料として利用されるようになり、その利用はだんだん古代ギリシャ世界全域へと広がりました。
不思議な事にシルフィウムは人の手で栽培する事ができませんでした。
頑固な雑草として広がり、栽培すると荒れ地へ逃げて行った
と記録に残っています。野生の物を利用するしかないため、他の地域で生産する事は出来ません。
その為シルフィウムはこの地域の特産品となり、交易の為の大事な輸出品になりました。国(都市国家)の象徴として硬貨にその姿が刻まれるようになります。
こちらがその硬貨です。
茎がとても太く書かれています。茎の先にはもこもことした花が描かれています。これは小さな花がたくさん集まって咲くタイプの植物だと分かりますね。
こちらの硬貨も同じく立派なシルフィウムです。日本の百円玉には桜が描かれていますが、それと同じくらい国を象徴し、愛された植物だったのでしょう。
こちらの硬貨に刻まれているのはシルフィウムの種子だと言われています。ハート型に見える事、そして詳しくは後で述べますが堕胎薬としてのシルフィウムの薬効と結びついて少しセクシュアルなイメージを持つことからハートマークの起源だと言う説もあります。しかしこの説は信頼性に乏しく、何人かの研究者には否定されています。
また、この極端に強調された太い茎は男性の生殖器を表しているという説もあります。男性器を豊穣や繁栄のシンボルとする文化は世界中の各地で見られ、けして珍しくはありませんが…この説も今の所は決め手に欠けるようです。皆さんにはどう見えますか?
閑話休題。
やがて紀元前69年にキュレナイカの地域は古代ローマの属州となります。
古代ローマの人々もシルフィウムからとれた樹脂をラーセルと呼んで薬や調味料や香料として珍重しました。
紀元前39年に政府は30リブラ(約9.8kg)のラーセルを輸入した事や、カエサルが内戦の初めに国庫から金銀とともに1500リブラ(約491kg)のラーセルを持ち出した事が記録に残っています。かなり貴重品として扱われていたのでしょう。
しかし、この頃からキュレナイカのシルフィウムの数はどんどん減っていきました。
シルフィウムを食べて育った家畜はよく肥えて非常に美味であるとされた為、ある徴税請負人がシルフィウムの生える土地を強奪し、そこでヒツジを放牧してしまいました。ヒツジ達はシルフィウムを食べ尽くし、きれいに無くしてしまったといいます。
紀元1世紀頃にはもうシルフィウムは手にし入りづらい高級品でした。
美味しい食材のためなら金に糸目をつけない美食家アピキウスでさえも、ラーセルを長持ちさせる方法を料理書に記しています。(本人が書いていない可能性もあるが)
美食に熱狂的なローマ人達はついにシルフィウムを採り尽くしてしまいました。
キュレナイカで見つかった最後の1本のシルフィウムはローマに送られ、皇帝ネロに献上されました。
そしてそれ以降、キュレナイカのシルフィウムは二度と発見されることは無かったと言われています。
キュレナイカのシルフィウムを失ったローマ人達はのシリア属州や隣国のパルティアからシルフィウムを輸入する事にしました。
しかしそれらはキュレナイカの物とは香りが違い、かなり質が劣る物だったということです。
参考文献
『アピーキウス・古代ローマの料理書』
ミュラ・ヨコタ=宣子訳 三省堂
『プリニウスの博物誌』
プリニウス著 中野定雄・中野里美・中野美代訳 雄山閣
『薬物誌』
ディオスコリデス著 岸本良彦訳・注 八坂書房
『古代ローマの食卓』
パトリック・ファース著 目羅公和訳 東洋書林
『古代ローマの饗宴』
エウジェニア・サルツァ・プリーナ・リコッティ著 武谷なおみ訳 平凡社
『シーザーの晩餐 西洋古代飲食綺譚』
塚田孝雄著 朝日文庫