前回に引き続き古代ローマの饗宴に招待されたら…というテーマで饗宴のマナーについての記事です。
現代日本では会食の時に上座、下座と座るべき場所が立場によって決まっている場合がありますよね。
実は古代ローマの饗宴においても、厳格なルールで席順が決められていました。
席順
古代ローマの食事室であるトリクリニウムには3つの大きな寝台がコの字型に並んでいます。一つの寝台には三人ずつ、合計9人が横になる事ができます。
その中でも身分や立場によって横になる場所は決まっていました。
まず、一番上座になるのが奥の寝台です。
- 執政官の座
奥の寝台の中でも向かって左側の席が一番上座とされました。
一番身分の高い招待客や、本日の主役となる招待客の席です。
執政官とは共和制ローマの最高官職です。ローマが帝政に移行してからも(※)執政官は名誉職として任命されつづけました。(※実質帝政であっても名目上共和制であるというのが帝政初期の古代ローマのアイデンティティなのですが、ここでは詳しく触れません) - 王の座
その隣は王の座と呼ばれ、二番目に良い席とされました。ここには執政官の座の人物の妻や息子、友人などの席とされることが多かったようです。
古代ローマの人々にとって王とは皇帝や元老院の許可を得て属州の統治を任された存在(ヘロデ王など)もしくは、異国の王の事です。当然ながら、執政官の方が上座とされ、王の座はその次に良い席という扱いになりました。 - 招待主の席
向かって左側の寝台は招待主とその家族の為の寝台です。
その中で一番奥は招待主の席です。主賓に一番近く、全体を見わたしやすい場所というわけです。 - 招待主の妻や息子の席
- 自由民の座
左側一番手前の席は招待主の家の解放奴隷が寝そべる席とされました。
右側はその他の招待客の席です。
もう少し大きな規模の饗宴の場合はこの寝台三台が一組のトリクリニウムが二組、三組と複数組用いられました。
他にも、食事の為の寝台には半円形をしたスティバディウムというものもありました。
人数が9人と決まっているトリクリニウムと比べて、何人で使用しても良いのが特徴だったようです。
影・パラシートゥス
饗宴には正式な席の他に寝台の端に腰掛ける人々もいました。
饗宴に招待された客は誰か他の人を連れてくる事が許されている場合がありました。しかし、当然ながらそうして連れてきた人の席はありません。
そのような場合、彼らは寝台の端や部屋の隅の椅子に腰掛けて食事をしました。
そうした人々は「影」と呼ばれました。その言葉があらわすとおり、彼らは饗宴のなかで重要ではない存在とされました。
しかし、お世辞が上手い、話が面白い、詩を作れるなどの一芸に秀でた庶民は正式に招待されることはなくても、饗宴の盛り上げ役として「影」のポジションで饗宴に同席して、毎日無料でご馳走を食べることが出来た人もいたのだとか。
こうした饗宴の盛り上げ役はパラシートゥスと呼ばれました。
(パラシートゥスは「食客」と訳されることもありますが、中国史の食客とは全く意味が違います。)
ちなみに「影」やパラシートゥスの人数が多すぎて寝台の端に腰かけられない場合は部屋の隅に置かれる椅子に座って食事をしたり、それでも人数が多い場合には壁沿いに立って饗宴に参加したそうです。