にゃこめしの食材博物記

YouTubeチャンネル「古代ローマ食堂へようこそ」の中の人のブログ。古代ローマの食文化についての記事を中心に、様々な歴史や食文化について調べて書いているブログです。

ルイ16世とジャガイモの話

どうも、にゃこめしです。

ルイ16世マリー・アントワネットといえば、きらびやかなイメージ。花に例えるなら薔薇、食べ物に例えるならケーキでしょうか。

しかし、マリー・アントワネットが愛し、髪に飾ったとされる花はバラではありません。ルイ16世が栽培を奨励し、パリ近くの国営農場で栽培させた作物の花です。

その植物とは…なんと、ジャガイモです。

おフランスのブルボン王朝とゴツゴツしたジャガイモのイメージは随分とかけ離れています。

今回はそんなジャガイモとルイ16世について調べてみました。

 

 

 

ジャガイモ栽培の歴史

ジャガイモはもともと、ヨーロッパには存在しない作物でした。

原産は南米、アンデス山脈。現地では6世紀頃から作物として栽培されてきました。豊富なデンプン質を含み、しっかりと満腹感の得られるジャガイモは、とうもろこしと並ぶ重要な食べ物でした。

16世紀頃、スペイン人が南米大陸に到達します。船乗り達は南米のジャガイモをお土産としてヨーロッパに持ち帰りました。

かくしてジャガイモはヨーロッパでも栽培され始めたのですが、当初は花や実を楽しむための珍しい植物という扱いでした。芋の部分は食べ物としてなかなか受け入れられなかったようです。理由としては、

  • ゴツゴツして見た目が悪い
  • 種でなく、芋(根茎)で増えるのは破廉恥な植物である
  • 聖書に載っていない食物は食べるべきではない
  • ハンセン病をおこすと信じられていた
  • 中毒をおこす

などです。

中毒に関しては実際に起こり得た話です。ジャガイモの芽や青くなった部分にはソラニンという成分が含まれており、食べると中毒を起こします。当時のヨーロッパではジャガイモに関する知識がないため、青くなった部分や芽や、時には茎や葉まで料理人が使用してしまい、中毒を起こしたといいます。

なかなか定着しなかったジャガイモですが、フランスよりも冷涼な気候でしばしば食料飢饉に悩まされていたドイツやオランダでは18世紀なかばごろから救荒作物として利用されるようになっていきます。

しかし、フランスでは家畜の飼料という扱いが長く続きます。

ルイ16世パルマンティエ

ルイ16世にジャガイモを食べる事を提案したのは、アントワーヌ・オーギュスタン・ド・パルマンティエという人物です。

医師であったパルマンティエは、フランスとプロイセンの間で起こった7年戦争に参加した際、捕虜として捕えられてしまいました。その間、ジャガイモばかりの食事を与えられたそうです。

フランスに帰国してからパルマンティエは、ルイ16世に救荒作物としてジャガイモを提案しました。

市民達にジャガイモを広めるため、いろいろな作戦を使ったと言われています。

 

まずはイメージ戦略です。

ルイ16世は胸に、そしてマリー・アントワネットは髪にジャガイモの花を飾りました。社交界のファッションリーダーであったマリー・アントワネットのおかげで、ジャガイモの花は御婦人達の羨望の的へと早変わり。競い合うように、自分たちの庭師にジャガイモを植えさせた事でしょう。

 

次に、市民たちに興味を持ってもらわなくてはいけません。

ルイ16世パルマンティエは、パリの国営農場にジャガイモを植えさせました。
そして、大層なお触書きをつけました。『これはジャガイモといって、王侯貴族のための特別な食べ物である。盗んだものは罰する。』などと。
さらに、畑に警備の兵までつけました。

この異様な空気感は人々の好奇心を大いにかきたてました。そして夜になるとわざと、警備を手薄にしたのです。

市民たちはこぞって、ジャガイモを盗みました。
警備の兵は市民たちからの賄賂を積極的に受け取り、どんどん盗ませたのだとか。

この逸話が本当かどうかはわかりません。プロイセンのフリードリヒ2世がドイツ国内にジャガイモを広めた時も同じような逸話が残っています。

 

ルイ16世パルマンティエのゆかいな大作戦のおかげでジャガイモはフランス国内でも食材として認知され始めました。

 

パンがなければ

「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」又は
「パンがなければブリオッシュを食べればいいじゃない」。

有名すぎるこのセリフですが、実はマリーアントワネットが言った言葉ではありません。
(「ある高貴なご婦人」の言葉であるという説や、ルイ14世の王妃マリー・テレーズの言葉であるという説、創作であるという説、などなど)

最近ではマリーアントワネットは家庭的で優しい人物だったのではないか、と見直され始めているようです。そろそろ彼女のセリフも

「パンがなければジャガイモを食べればいいじゃない」

に変わってもよい頃かもしれませんね。

 

まとめ

1788年の夏、干ばつがフランスを襲いました。小麦の収穫量は悲惨なものでした。そして冬になると一転して厳冬が訪れます。気温は氷点下を下回っているのに、人々は暖房の燃料も、食べ物もありません。

市民の暴動がおこります。最初に立ち上がったのは女たちでした。男たちも負けずに、我も我もと立ち上がります。

1789年の春になると、ブルジョワジー達は食料を求める市民の暴動を煽り、フランス革命へと変容させます。

 

国王ルイ16世、そして王妃マリーアントワネットも断頭台の露と消えました。

 

あともう少し早くジャガイモが普及していれば、そしてたくさん栽培されていたら、もしかしたら歴史は変わっていたのかもしれませんね。

 

パルマンティエはフランス革命後も生き延び、ジャガイモを普及させた功績でナポレオンから表彰されたりしてます。

彼の墓石の上には今でも、たくさんのジャガイモがゴロゴロとお供えされています。

 

参考文献/参考HP

日本いも類研究会HP
https://www.jrt.gr.jp/potatomini/potatomini_rekishi/

 

JAきたみらいHPより ジャガイモの歴史https://www.jakitamirai.or.jp/nousantop/potato/potato2/

 

ZUU onlineより
「ジャガイモ」を愛したマリー・アントワネットの悲劇 稲垣栄洋(植物学者)
https://news.line.me/issue/oa-zuuonline/64c9fcde4e0e

 

Atlas Obscuraより
Grave of Antoine-Augustin Parmentier
https://www.atlasobscura.com/places/grave-of-antoine-augustin-parmentier

 

Nobility and Analogous Traditional Elites
In the Allocutions of pius Ⅻより
https://nobility.org/2012/10/recipe-louis-xvi-marie-antoinette-potato/

 

↓こちらもご覧下さい!
ルイ16世のコロッケを作ってみた話 - にゃこめしの食材博物記

 

よしな(みず、ウワバミソウ)のムカゴの話

どうも、にゃこめしです。

本日の珍しい食材は…よしなのムカゴです!

よしなは、山の渓流や沢などの水が綺麗で湿潤な環境に生えている山菜です。

標準和名はウワバミソウといい、イラクサ科の多年草です。「よしな」というのは長野県や新潟県あたりの呼び名で、東北地方では「みず」と呼ばれます。

春〜夏は茎の部分を食べますが、秋になると茎にたくさんのムカゴがつきます。
f:id:nyakomeshi:20211031140732j:image

むかごの大きさは小豆粒〜大豆くらい。

茎を抱え込むようについています。
f:id:nyakomeshi:20211031140743j:image

分かりやすく広げてみると、こんな感じです。↓

f:id:nyakomeshi:20211031140812j:image

実は、このよしなのムカゴは下処理が済んだ状態で売られています。生えている時の姿はどうだったかというと…


f:id:nyakomeshi:20211102150354j:image

このように、

一つの節に葉が一枚と根本にムカゴ一つがついています。中には根が出ているものも。これが節ごとに切れ、ムカゴで繁殖します。

この可愛らしい小豆色のムカゴですが、さっとお湯に潜らせると、あざやかな緑色に変わります。
f:id:nyakomeshi:20211031140849j:image

鍋に熱湯を沸かし、塩を小さじ1入れ、よしなをいれると、一分ほどでみるみる色が変わってきます。ムカゴが緑色になったら、すぐに引き上げて冷水にとります。

アクがほとんどない山菜なので、それだけですぐに食べられます。

 

ドレッシングやポン酢をかけてもよいし、マヨネーズでも。私はお浸しにしました。

包丁で細かく叩いて粘りを出したものは「みずとろろ」といいます。ご飯に乗せたりお酒のアテに、美味しいですよ!

浅漬けも美味しいです。下の写真は青森県のお漬け物です。

f:id:nyakomeshi:20211031140841j:image

シャッキリした歯ごたえとぬるぬる食感、一年中食べたいと思ってしまうような、よしなのムカゴでした。

 

参考文献

原色日本植物図鑑 保育社

 

今回はよしな(みず・ウワバミソウ)のムカゴの話でした。長芋・山芋のムカゴの話はこちら↓

 

巨大オクラ「ダビデの星」とオカルトの雑談

どうも、にゃこめしです。

先日、「ダビデの星」という品種の大きなオクラが手に入りました。名前がカッコ良すぎて厨二心をくすぐります。

f:id:nyakomeshi:20211021030818j:image

見てください、この大胆なデカさ。f:id:nyakomeshi:20211024013556j:imagef:id:nyakomeshi:20211024013819j:image

普通のオクラと比べると、この通りです。f:id:nyakomeshi:20211024013720j:image

これだけ大きいと、食感は硬いのではないかと思いきや、とても柔らかくてジューシーです。茹で時間も普通のオクラと同じで十分でした。

f:id:nyakomeshi:20211024014738j:image

サラダにして食べました。種が目立ちますが、食べてみると全然気になりません。肉厚なので食べごたえがあります。ぬめりが口いっぱいに広がり、すごい満足感でした!

 

さて、この「ダビデの星」というカッコいい品種名は、このオクラを切った時や真上から見た時の形から名付けられたのだと思います。

f:id:nyakomeshi:20211026021724j:image

ダビデの星」とは正三角形を2つ重ねた六芒星のマークです。イスラエルの国旗の真ん中にも描かれており、ユダヤ教のシンボルとして使われています。

f:id:nyakomeshi:20211021021406j:image
地図に使えるフリー素材https://freesozai.jp/より

 

この「ダビデの星」マークの起源はよく分かっていないようです。有名な説では17世紀、神聖ローマ帝国ユダヤ人部隊の旗印として作られたという話です。

ダビデ王は、旧約聖書のサムエル記及び列王記に登場する古代イスラエルの王様です。ダビデ(David)の名前はDで始まりDで終わります。
そこでアルファベットのDにあたるギリシャ文字のΔ(デルタ)を2つ組み合わせて、旗印にしたのが始まりとされています。

ですが他にも、もっと古いシナゴーグに描かれていたとか、タナッハ(聖書)に描かれていたとか、いろいろな説があるようです。 

 

それ以外でも、全く他の地域、他の民族の遺跡に「ダビデの星」らしきマークが描かれているものが発見されたりします。日本の神社にもあります。

六芒星それ自体はシンプルなマークなので、ユダヤに関係しない所でも同じマークが装飾に使われている事はごく自然な事だと考えられます。

ところが。

一部のトンデモ歴史論オカルト方面では、この「ダビデの星」が日ユ同祖論の根拠だと言われる事があります(苦笑)

例えば、三重県志摩市伊雑宮(いざわのみや)という神社があります。この神社の御神紋は正六芒星、つまりダビデの星と同じマークなのです。だからこの神社はユダヤと関係があったのではないか、といった調子です。

さらに、伊雑宮(いざわのみや)という名前はイザヤ書のイザヤを表している、とか、こじつけ放題。

ちなみに日本では「ダビデの星」の正六芒星マークは、籠を編んた時の目に似ているので「籠目紋(かごめもん)」と呼ばれ、昔から普通に使われています。ユダヤは関係ありません(笑)

 

私はオカルト方面も嫌いではないので、「ムー」などを読む事もあります。もちろん歴史とは別のエンターテインメントとして、「なんでやねん(笑)」などと心の中でツッコミを入れながら。

 

しかし最近気になるのは、世の中には色んな判断をする人がいるのだな、という事です。 新型コロナウイルスの流行が始まってから特に、感じるようになりました。これは人々の考え方が変わったというより、元から結構ヤバい考え方の人が多かった事が顕在化したように感じます。

ワクチンで人類が洗脳されるとか、〇〇の陰謀論とか、日本人は他民族より特別優秀だとか、信じている人は自分が思ったよりもはるかに多いらしいのです。

日ユ同祖論なども信じている人はいるのでしょうか…?

 

参考文献(?)

ムーSPECIAL 失われた日本の超古代文明FILE

歴史雑学研究倶楽部 編 学研パブリッシング

 

 

 

毒きのこで亡くなった人達の話

どうも、にゃこめしです。

今回は食材の話…ではなく、食べてはいけない物の話になります。魅力的かつ恐ろしい食材、キノコ。

毎年、毒キノコ中毒で亡くなった方やキノコ狩りに出かけて事故に遭われた方のニュースを耳にします。

私がここ一年間で読んだ本の中から、キノコを食べてお亡くなりになった方々の話を3つ紹介したいと思います。

お釈迦様と毒きのこ

エントリーナンバー1、お釈迦様!

ブッダこと、お釈迦様は80歳を超えても旅をして教えを説いておられました。ある時、とても敬虔な信者である、村の鍛冶屋のチュンダという男がブッダの一行をもてなしたいと申し出ました。数々の料理が並んだ食卓。その中の一つに珍しいキノコの料理がありました。その料理を見て、お釈迦様はこう言いました。

「チュンダよ、あなたの用意したきのこ料理を私に下さい。また、用意された他の噛む食物・柔らかい食物を修行僧らにあげてください。」

そしてお釈迦様はチュンダのきのこ料理を召し上がりました。そして、食べ終わった後にはこう言います。

「チュンダよ。残ったキノコ料理は、それを穴に埋めなさい。神々・悪魔・梵天・修行者・バラモンの間でも、また、神々・人間を含む生きものの間でも、世の中で、修行完成者(如来)のほかには、それを食して完全に消化し得る人を見い出しません。」

お釈迦様は毒きのこだと分かっていて召し上がりました。チュンダへの優しさでしょうか。それとも、自らの命の終わりを予感して、受け入れておられたのでしょうか。

その後お釈迦様は食中毒と思われる症状に苦しみます。

赤い血が迸り出る、死に至る激しい苦痛が生じた

とありますから、かなりの痛みが想像されます。お釈迦様は弱りきった身体でクシナガラという土地へ向かい、沙羅双樹の樹の下でお亡くなりになり、涅槃に入られました。

ちなみに鍛冶工のチュンダが用意した料理は、きのこ料理であったとする説が一般的ですが、豚肉の料理であったとする説もあるようです。

 

クラウディウス帝と毒きのこ

エントリーナンバー2、皇帝クラウディウス

クラウディウス古代ローマ帝国の4代目皇帝です。先天的に少し障害があったとされ、歩行と会話に支障をきたしていたそうです。

そのため本来なら皇帝の後継者候補にならなかったはずでしたが、他の後継者候補が相次いで亡くなったり、暗殺されたりしたため、皇帝に擁立されました。

皇帝となった後は、予想を裏切る政治的手腕を発揮し、安定した統治となるように見えましたが…

実は女性にめっぽう弱く、奥さんの尻に敷かれっぱなしだったと言われています。4番目に結婚したアグリッピナという女性は、クラウディウスに詰め寄り、彼女の連れ子の息子を次の皇帝にする事を無理やり約束させました。そして…

クラウディウスの大好物であったきのこ料理に毒を仕込み、夫を暗殺しました。

wikipediaなどで検索するとクラウディウスの死因は毒キノコによる中毒であったという記事が多く見られます。

しかし実際は何の毒で暗殺されたかは定かではありません。アグリッピナはロクスタという女性の毒薬調剤師を召し抱えていたとも言われています。

古代ローマの歴史家タキトゥスによれば、こう語られています。

毒物はかくべつおいしいきのこに盛られた。その利きめはそう早く認められなかった。(中略)食事の後ですぐ胃を洗滌したので助かったようである。そこでアグリッピナは狼狽した。(中略)共犯をすでに約束していた侍医クセノポンを呼びつける。彼はクラウディウスが食べ物を自然に吐瀉する試みを手伝うと見せかけ、効力の早い毒物を塗った羽毛を、喉の奥につっこんだといわれる。

別の歴史家スエトニウスによると、こう記されています。

彼女はきのこに毒をもり、この種の料理が大好物であったクラウディウスに差し出した。(中略)クラウディウスは毒を飲むとすぐ口がきけなくなり、一晩中悶え苦しみ、夜明け頃に息を引き取ったと。別説によると、クラウディウスは初め意識を失い、やがて食べた物を口から戻し、みな吐き出してしまったので、再び毒を飲まされた。

毒きのこによる中毒かどうか、真相は歴史の深い闇の中です。ちなみにこの後皇帝になるアグリッピナの連れ子というのが、悪名高い暴君ネロです。

 

遠野物語の人々と毒きのこ

エントリーナンバー3、遠野物語の人々!

遠野物語に収録されている、ザシキワラシ(座敷童子)の話から。

遠野のある村の男が、見かけない女の子二人組に出会います。不思議に思って、どこから来たのかと尋ねると女の子達は「山口孫左衛門の家から」と、どこへ行くのかと尋ねると「別の村の誰それの家へ」と答えます。

男はこの二人はザシキワラシだと直感しました。ザシキワラシは住み着いた家に繁栄をもたらす妖怪だと言われています。そのザシキワラシが出ていってはしまっては、孫左衛門の家も落ちぶれるかもしれないな、と男は考えました。

それから程なくして、孫左衛門の家では7歳の女の子以外、家族も使用人も全員が毒きのこの中毒で亡くなりました。

その時の様子はこう書かれています。

孫左衛門が家にては、或る日梨なしの木のめぐりに見馴みなれぬ茸きのこのあまた生はえたるを、食わんか食うまじきかと男どもの評議してあるを聞きて、最後の代の孫左衛門、食わぬがよしと制したれども、下男の一人がいうには、いかなる茸にても水桶みずおけの中に入れて苧殻おがらをもってよくかき廻まわしてのち食えば決して中あたることなしとて、一同この言に従い家内ことごとくこれを食いたり。

科学的根拠のない、毒きのこの見分け方や毒の抜きかた、今でも時々耳にしますね。

縦にさけるキノコは毒が無い、とか、ナスと一緒に煮れば毒が消える、とか。もちろんこれらは完全な迷信であり、毒が抜けることはありません。

もちろん、苧殻と一緒に水に浸したキノコも毒が抜けることはなく、一家全滅の悲劇となりました。

 

おわりに

恐ろしくも魅力的な食材、きのこ。
ある種類は滋養に富んだ食べ物であり、別の種類は恐ろしい中毒を引き起こすきのこ。

数年前、秋の長野県へ旅行した時、天然のきのこがたくさん売っていました。ハナイグチ、コウタケ、ショウゲンジ…など初めて見るきのこがたくさん。山の幸、というものはこれほどまでに豊かなのかと驚かされました。

そして、きのこの種類を特定する難しさも、改めて感じました。
図鑑を見ても、どれがどれだか、何が何だか。
素人は手を出すべきではないですね。

キノコの同定の難しさから中毒を恐れて、近年は天然キノコの流通を規制する動きもあるようです。

個人的には山の幸と共に暮らしてきた地域の文化を大切にしてほしいという思いもあります。
しかし、人命にかかわる事でもありますから、物事はそう簡単ではありません。流通するキノコを一本一本検査するのは不可能ですから。

きのこと人間との攻防戦、まだまだ結論は出せそうにありません。
きのこを利用する人間達の攻防戦は、これからも続いて、新たな歴史になるのでしょう。

↓長野県の林道の駐車場の端っこで見つけた、イグチの仲間と思われるキノコ。
食べられるのかもしれないが、命が惜しいので食べていない。
(欠けているが、かじったのは私ではない。)
f:id:nyakomeshi:20211015130312j:image
↓ベニタケの仲間と思われるキノコ。食べられる種類もあるらしいが、ドクベニタケと区別がつかない。もちろん、食べない。
f:id:nyakomeshi:20211015130319j:image


 

参考文献

ブッダ最後の旅-大パリニッバーナ経
中村 元  岩波文庫

年代記 タキトゥス 国原吉之助訳
岩波文庫

ローマ皇帝伝 スエトニウス 国原吉之助訳
岩波文庫

遠野物語 柳田国男 青空文庫

エソの骨全部抜いてみた

エソという魚があります。

高級かまぼこや練り製品の原料になる事が多いです。味はとっても良いのですが、あまり馴染みがないという方も多いと思います。なぜなら、小骨が多くて食べにくいのです。

少し前になりますが、特大サイズのエソが届きました。

f:id:nyakomeshi:20210910144032j:image
小さいエソの場合、ウロコと頭と内蔵をとってからイワシのように手開きにします。すると中骨とくっついたまま小骨が外れます。

ただし、今回のエソは…手開きにするのは無理なサイズです。すり身にするのも良いですが、せっかくなので小骨を全部抜いて味わってみたいと思います。
f:id:nyakomeshi:20210910144116j:image

ご覧下さい!一番大きいもので50cmサイズ!

ちなみにエソにもいくつか種類があり、これはワニエソという種類です。
f:id:nyakomeshi:20210910144255j:image

それではさばいていきましょう!

まず、普通の魚と同じように三枚おろしにして、腹骨を削ぎます。

f:id:nyakomeshi:20210910173941j:image

骨を抜いていきましょう。エソの小骨は下の写真で示した通り、3つのライン上に並んでいます。

f:id:nyakomeshi:20210910174027j:image

並んだ小骨を一本一本、抜いていきます。指で小骨を確認しながら丁寧に。f:id:nyakomeshi:20210912121208j:image
ハモのように骨切りすれば良いんじゃね?と、言われそうですが、無理です。エソの身はハモより崩れやすく、粘りが強いです。一方で骨は長く、硬いです。
f:id:nyakomeshi:20210912121220j:image

骨切りしたら、骨は切れていないのに身はぐちゃぐちゃという大惨事になる事が予想されます。
ちなみに、骨の数は多いもののきっちりとした列をなしているので、抜くのはあまり難しくありませんでした。手早く、根気よくやれば大丈夫です。

骨を全部抜き終わったあとは…

どんな料理でもどんと来い!

淡泊でクセのない白身が味わえます。しかも、加熱してもしっとりホロホロの食感です。

まずは天ぷら。
f:id:nyakomeshi:20210910144348j:image

唐揚げの甘酢あんかけ。
f:id:nyakomeshi:20210910144419j:image

ハモの落とし風に、エソの落とし。

骨は抜き去ったのに、ハモに似せるために骨切り様の切れ目を入れています…

f:id:nyakomeshi:20210910144500j:image

塩焼き。

f:id:nyakomeshi:20210910144602j:image

漬け焼き。

f:id:nyakomeshi:20210910144645j:image

大変美味しく頂きました。

元のスペックが高い魚ですから、ひと手間かける値打ちはあります。
チャレンジしてみたいという気概のある方は、是非一度お試しください!

 

 

キリストと古代ローマのスズメの焼き鳥の話


f:id:nyakomeshi:20210903022142j:image
スズメの焼き鳥を食べたことがありますか?

私は二度、食べたことがあります。一度目はあの有名な、京都の伏見稲荷大社の参道近くで売られているもの。二度目は焼き鳥屋さんで(どちらも10年ほど前)。

羽毛を取られたスズメは悲しいほどに小さく、空を飛ぶためのその体は細くて華奢でした。もちろん、ニワトリのように部位ごとに捌く事などできませんから、全身そのままの形で串に刺さっておりました。タレに漬けてパリッと焼かれたスズメを骨ごと、頭からパリパリといただきます。

一口頬張ると、まずタレのコクと皮の香ばしさ、そして噛みしめる程にレバーのような骨髄の味がにじみ出てきました。

観光客(今はコロナでいませんが)の方々は可愛らしいスズメを食べてしまう事と、グロテスクな見た目に、強烈な印象を抱くようです。

 

しかし、スズメを食べるのは日本人だけではありません。
新約聖書の人々もスズメを食べていました。

(ヨーロッパ〜中東にはスズメPasser montanusとイエスズメPasser domesticusの2種が生息していますが、そのうちどちらの種かは不明です。上の絵はスズメPasser montanus。)

新約聖書の舞台となるのは、古代ローマ帝国統治下のユダヤ属州とその周辺です。現在の地名でいうとイスラエルとヨルダン西端の一部にあたります。
時代は西暦30年前後。古代ローマ帝国二代目皇帝ティベリウス(在位期間AC14~37年)の治世です。

エスが人々に教えを説いていると、道端でスズメが売られていました。

マタイによる福音書20・29
二羽の雀が1アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなた方の父のお許しがなければ、地に落ちることはない。

なぜスズメが売られていたのかというと、食べるためです。スズメは貧しい人々でも手に入り、安く食べられる肉類でした。二羽セットでないと小銅貨一枚分にもならない、とるに足りないもの、という意味合いを含んでいます。

ルカによる福音書12・6
五羽の雀が2アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。

スズメがさらにお安くなっております(笑)
マタイの福音書に登場するスズメより小さいから、一盛り5羽にしたのか?
閉店前のサービスタイムだったのか?
それとも4羽買ったらもう1羽オマケ付き?
ここでもスズメは、取るに足らないもの、価値の低いもののたとえとして登場します。
そして、神様はそのような一羽のスズメの事もちゃんと見守っていてくださるのだというお話なのだそうです。

 

ゴスペルの名曲で『His eyes on the sparrow 』という曲があります。映画『天使にラブソングを2』の中でも使われておりました。この曲の歌詞は新約聖書のこの部分を引用しています。

 

さて、気になるのは人々がこのスズメをどうやって食べたのかです。

先に述べた通り、スズメは小さすぎて部位ごとに捌く事などできません。スープに入れたとしても、骨が邪魔で食べづらいものであったでしょう。やはり、骨ごとパリッと焼くか、揚げるかの他に調理法は考えにくい食材です。

ここからは私の想像になります。
やはり新約聖書の人々は、スズメを焼き鳥にしていたのではないでしょうか。

古代ローマにはガルムという魚醤がありました。このガルムと蜂蜜を混ぜてタレを作って魚やヤマネなどの食材を焼き上げる、照り焼きのような調理法があったことも記録に残っています。

ガルムと蜂蜜のタレをスズメに塗って、炭火でパリッと焼き上げると…

そう、スズメの焼き鳥の完成です!

伏見稲荷大社の門前で売っている、スズメの焼き鳥に姿も味もそっくりになります。

もっとも、ユダヤ属州でローマ中心部と同じ調理法をしたかはわかりません。
そもそも貧しい人々の食材として売られていたのだから、贅沢な調味料を使わず、塩だけで仕上げていたかもしれませんね。

 

最後に、伏見稲荷大社の門前で売られていたスズメの焼き鳥の図を載せておきます。
おしりの部分だけをつなげて開く、独特のさばき方をされていました。

f:id:nyakomeshi:20210902122104j:image

最近では国産のスズメはまず市場に出回る事がありません。ほとんどが中国産の輸入スズメです。しかしそれも希少になりつつあります。今では伏見稲荷大社に行ってもスズメが売っている事はほとんどなく、代わりにウズラの焼き鳥を売っています。

スズメの焼き鳥のお値段は一羽で約1アサリオンでした。

 

参考文献/
新約聖書 新共同訳

 

古代オリンピックとオリーブと月桂樹とセロリと松の話

オリンピックの起源が古代ギリシャの祭典、オリュンピア祭であった事は誰もがご存知と思います。では、勝者に贈られるものは何だったでしょうか?

金メダル?

賞金?

実はオリュンピア祭の勝者に贈られるのは、オリーブの枝で編んだ冠でした。

月桂樹の冠と勘違いされる事が多いのですが、正しくはオリーブです。後述するピューティア祭の勝者に贈られるのが月桂樹の冠である事や、古代ローマ帝国の皇帝の冠が月桂樹であった事から間違われる事が多いようです。

 

オリュンピア祭はギリシャ神話の神、ゼウスに捧げられる神事でした。

競争や催事が好きなギリシャ人は、人々が喜ぶものは神々もまた好み、喜ぶであろうと考えました。神々に捧げるためや、死者を慰めるために運動競技や詩や音楽の大会が盛んに催されました。

数日続いた様々な競技の間には、生贄を捧げる儀式も行われました。

各地から集められた百頭もの雄牛を屠り、その中の一番素晴らしい雄牛の太腿をゼウスに捧げるために灰になるまで焼き尽くします。

さて、残りは“おさがり”です。オリュンピア祭に集まった選手や観客など数千人で焼いて、食べ尽くします。何と楽しそうな…オリュンピア祭はバーベキュー大会だったのか…

 

ところで、オリュンピア祭(古代オリンピック)が古代ギリシャの四つの祭典の中の一つであった事をご存知でしょうか?四つの祭典はいずれも神々に捧げられる神事でした。

 

まずはオリュンピア祭。祭神は天空と雷の神・ギリシャ神話の最高神ゼウスです。

開催地はオリュンピア、主催国はエリスという都市国家です。4年に1度開催され、勝者にはオリーブの冠が贈られました。


ネメアー祭。こちらも祭神はゼウス。

開催地はネメアーで、2年に1度開催されます。勝者には野生のセロリの冠が贈られました。


イストミア祭。祭神は荒ぶる海の神・ポセイドンです。

開催地はイストミアで、主催国はコリントスという都市国家。2年に1度開催されます。勝者には松の冠が贈られました。 


ピューティア祭。祭神は光明の神・アポロンです。

竪琴が得意なアポロン神に捧げる大会なので、音楽や詩や絵画など芸術の大会でした。後に運動競技も加わります。開催地はデルポイで、4年に1度開催されました。勝者には月桂樹の冠が贈られました。

 

オリーブ、月桂樹、セロリ、松。それぞれの大会にそれぞれの植物の冠。

何だか良い香りがして美味しそうだ…と思ったので、それぞれの食材を使って創作サラダを作ることにしました。f:id:nyakomeshi:20210803022723j:image

オリーブ(ピクルス・種抜きスライス)、セロリ(半額)。松の葉は食べられないので松の実。月桂樹はローリエですね。

ローリエ本体は食べられないのでオリーブオイルに浸して香りを移します。後でビネガー、塩、コショウと混ぜてドレッシングに使います。

f:id:nyakomeshi:20210803134304j:image

筋をとって刻んだセロリにすべてをガーッと混ぜ合わせて出来上がりです!(雑な性格で申し訳ない)

f:id:nyakomeshi:20210803191112j:image

サラダを食べながら考えます。

古代オリュンピア祭は神に捧げる祭事でした。では現代のオリンピックは…?

人間のため、平和のため、健全な精神の育成のため。綺麗事を並べることはできますが、皆、気づいていますよね。

オリンポスの神々が居なくなった現代、神々に変わる存在はお金や利権なのでしょう。

 

ゼウスのおさがりの牛肉が食べたい。

 

参考HP

 

公益財団法人 日本オリンピック委員会

https://www.joc.or.jp/

 

東京2020教育プログラム

https://education.tokyo2020.org/jp/

 

wikipedia古代オリンピック

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF

 

wikipediaネメア祭

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%83%A1%E3%82%A2%E7%A5%AD

 

wikipediaイストミア大祭

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%9F%E3%82%A2%E5%A4%A7%E7%A5%AD

 

wikipediaピューティア大祭

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2%E5%A4%A7%E7%A5%AD

 

以上のHPの他に

2018年7月3日〜2018年9月25日に渡って放送された、NHKカルチャーラジオ 歴史再発見「ギリシア人の世界と古代オリンピック」の東京大学の橋場 弦 教授のお話を参考にさせて頂きました。